『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
福岡の近代化遺産刊行記念、ということで、北九州の遺産も便乗して紹介させていただきます。
北九州の近代化遺産を編纂する際、原則戦前の物件(いわゆる近代の時期)を個別項目として採り上げましたが、戦後物件の中でもいくつかについては「まあ仕方ない」とあえて掲載させていただいたものがいくつかありました。この丸窯はそれらの中でも代表的なものです。
日本に煉瓦が移入された際、いわゆる陶芸のような登り窯形式ではなく、ホフマン窯を代表とした輪窯が製造の主流として用いられました。焼成温度を一定に保つことと連続して煉瓦を作ることが可能であったことがその理由です。その近代の様式をそのまま受け継いだ製造方法が黒崎播磨の本社工場に遺っていました。それがこの丸窯です。
現在煉瓦を作る時にはベルトコンベアのようなラインを設けその中で一定の作業を完了させます。コンピュータによる温度制御が可能になった現在では、温度の管理も容易になりましたが、近代では一定した品質を保つために様々な工夫が用いられました。この技術の結晶は工場内に今も受け継がれているのです。
追伸報告:さて、本日より編纂事務局本人(つまり、私)が長期出張のため、しばらく固定パソコンの前からいなくなります。その間、なるべく更新しておきたいとは思いますが、もしかしたら毎日更新がとぎれるかも知れませんので、その点予めお詫びしておきます。帰宅は28日を予定しています。
北九州の近代化遺産を編纂する際、原則戦前の物件(いわゆる近代の時期)を個別項目として採り上げましたが、戦後物件の中でもいくつかについては「まあ仕方ない」とあえて掲載させていただいたものがいくつかありました。この丸窯はそれらの中でも代表的なものです。
日本に煉瓦が移入された際、いわゆる陶芸のような登り窯形式ではなく、ホフマン窯を代表とした輪窯が製造の主流として用いられました。焼成温度を一定に保つことと連続して煉瓦を作ることが可能であったことがその理由です。その近代の様式をそのまま受け継いだ製造方法が黒崎播磨の本社工場に遺っていました。それがこの丸窯です。
現在煉瓦を作る時にはベルトコンベアのようなラインを設けその中で一定の作業を完了させます。コンピュータによる温度制御が可能になった現在では、温度の管理も容易になりましたが、近代では一定した品質を保つために様々な工夫が用いられました。この技術の結晶は工場内に今も受け継がれているのです。
追伸報告:さて、本日より編纂事務局本人(つまり、私)が長期出張のため、しばらく固定パソコンの前からいなくなります。その間、なるべく更新しておきたいとは思いますが、もしかしたら毎日更新がとぎれるかも知れませんので、その点予めお詫びしておきます。帰宅は28日を予定しています。
PR
『福岡の近代化遺産』の宣伝が続きますが、ここで『北九州の近代化遺産』販促目的もかねて、北九州の遺産の紹介も致したいと思います。
今回紹介するのは、百三十銀行八幡支店として建てられたこの施設。現在はギャラリーとして運営されています。実際ご覧になった方は分かると思いますが、若干駅前からは外れた位置にあるように見えます。これは元々の駅の位置が現在よりも東側にあったこと、そして国道3号線バイパス(現在の八幡駅の真下を通る方の道路)建設に伴って曳家移転を行った結果によるものです。
百三十銀行は元々大阪に本店を持つ銀行でしたが、北九州・小倉に本店があった第八十九銀行を救済合併する形で北九州に進出、合併などに伴い現在はみずほ銀行として北九州に支店といくつかの営業所を持っています。地元では辰野金吾設計として名が通っている物件ですが、最晩年の作品、なおかつ鉄筋コンクリート造りの物件であることなどの要因から、辰野が実際設計に関与したかどうかは不透明で、正確には辰野の事務所が設計した物件と言った方がよいようです。
今回紹介するのは、百三十銀行八幡支店として建てられたこの施設。現在はギャラリーとして運営されています。実際ご覧になった方は分かると思いますが、若干駅前からは外れた位置にあるように見えます。これは元々の駅の位置が現在よりも東側にあったこと、そして国道3号線バイパス(現在の八幡駅の真下を通る方の道路)建設に伴って曳家移転を行った結果によるものです。
百三十銀行は元々大阪に本店を持つ銀行でしたが、北九州・小倉に本店があった第八十九銀行を救済合併する形で北九州に進出、合併などに伴い現在はみずほ銀行として北九州に支店といくつかの営業所を持っています。地元では辰野金吾設計として名が通っている物件ですが、最晩年の作品、なおかつ鉄筋コンクリート造りの物件であることなどの要因から、辰野が実際設計に関与したかどうかは不透明で、正確には辰野の事務所が設計した物件と言った方がよいようです。
日本建築学会の近代建築悉皆調査集成『日本近代建築総覧』は、確かに労作ではあるのですが、時々なぜそういう結論に達したのか分からない情報が記載されています。
小倉警察署庁舎についても同じ事が言えますが、この旧銀行建築建築に関してもそうですね。どこをどうやったら「大正時代の竣工でRC」という結論になるのか、分かりませんでした。
登記簿を調べてみると鉄骨煉瓦造と有り、『住友銀行史』を見てみれば、明治の建造物と書いてある。いったいどういうこっちゃ? と首をひねりました。
卒論時点の私であれば、書籍に書いてあることが正しいのでは、とスパっと疑念を振り切ったかもしれませんが、「岡田医院→小倉警察署」での実績以降、それでは収まらなくなりました。古写真の発見と建物火災により補修を受けたとの事実確認により、この建物の年代を断定しました。
結論から言うと、この建物は現在福岡県に遺る銀行建築の中でもっとも古い煉瓦建築となります。その割には、全然注目されていませんが。どうにかしようよ、せめて案内板を作るとかさ。
小倉警察署庁舎についても同じ事が言えますが、この旧銀行建築建築に関してもそうですね。どこをどうやったら「大正時代の竣工でRC」という結論になるのか、分かりませんでした。
登記簿を調べてみると鉄骨煉瓦造と有り、『住友銀行史』を見てみれば、明治の建造物と書いてある。いったいどういうこっちゃ? と首をひねりました。
卒論時点の私であれば、書籍に書いてあることが正しいのでは、とスパっと疑念を振り切ったかもしれませんが、「岡田医院→小倉警察署」での実績以降、それでは収まらなくなりました。古写真の発見と建物火災により補修を受けたとの事実確認により、この建物の年代を断定しました。
結論から言うと、この建物は現在福岡県に遺る銀行建築の中でもっとも古い煉瓦建築となります。その割には、全然注目されていませんが。どうにかしようよ、せめて案内板を作るとかさ。
現在は大部分がJR日田彦山線となっている旧小倉鉄道のトンネルです。この物件、存在は知っていました。ただ、市の西の端からは、通いづらかったり、通いづらかったり(笑)。
あと、詳しい位置も微妙に判っていなかったため、今回の出版企画まで撮影を放っておいた物件でした。
が、こちらの物件を(主に清水先生が)是非とも紹介したいと言うことで、執筆者を鉄道関係の人に依頼、すると、
「ここは私行ったことがないので、写真持っていません」
ん、ん~ん? 私と一緒?
この場合、誰が写真を用意するのか。そう、それは事務局。
結局私が写真を撮りに行く羽目になりましたとさ。めでたしめでたし。
めでたくないっ!
もしここの項目で私が文章を書くとしたら、現存する初期の駅舎の存在ははっきり書いておきたかったですね。
山の向こう側にあったの香春駅(小倉鉄道上香春駅舎)こそ、不審火で焼失いたしましたが、今でも採銅所駅、北九州側では石原町駅が小倉鉄道開業当初の姿を保ち続けています。
あと、詳しい位置も微妙に判っていなかったため、今回の出版企画まで撮影を放っておいた物件でした。
が、こちらの物件を(主に清水先生が)是非とも紹介したいと言うことで、執筆者を鉄道関係の人に依頼、すると、
「ここは私行ったことがないので、写真持っていません」
ん、ん~ん? 私と一緒?
この場合、誰が写真を用意するのか。そう、それは事務局。
結局私が写真を撮りに行く羽目になりましたとさ。めでたしめでたし。
めでたくないっ!
もしここの項目で私が文章を書くとしたら、現存する初期の駅舎の存在ははっきり書いておきたかったですね。
山の向こう側にあったの香春駅(小倉鉄道上香春駅舎)こそ、不審火で焼失いたしましたが、今でも採銅所駅、北九州側では石原町駅が小倉鉄道開業当初の姿を保ち続けています。
機械遺産というものは、非常に高い専門性が要されるため、建築のようにひとりの人間がいくつもの物件を紹介することは非常に難しいですが、今回産業考古学という枠組みの中で機械分野の専攻と知り合うことが出来、書籍の中で紹介することが出来ました(私が文章を書かずに済んだ、という方が正しいかも)。
北九州市は他地域に比べ機械遺産に関する関心が(比較的)高い方で、いくつかの報告書が出されています。問題があるとすれば、その報告書の存在が明らかになっていないだけで、、、あ、いや、これは最大の問題ではないか!
現在の九州工業大学には、かつての旧制専門学校時代の機械遺産がこのように屋外展示されています。大学の正門には「用件のない方の進入を禁じる」なんてこと書いていますが、ぜひとも「機械遺産を見る用件で」訪れてみてください。
北九州市は他地域に比べ機械遺産に関する関心が(比較的)高い方で、いくつかの報告書が出されています。問題があるとすれば、その報告書の存在が明らかになっていないだけで、、、あ、いや、これは最大の問題ではないか!
現在の九州工業大学には、かつての旧制専門学校時代の機械遺産がこのように屋外展示されています。大学の正門には「用件のない方の進入を禁じる」なんてこと書いていますが、ぜひとも「機械遺産を見る用件で」訪れてみてください。