『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
前回紹介できなかった(出来たはずだが、最初の出版企画なので避けた感も? いや、執筆者がいなかったのですな、、)砲台を除く戦前期の軍事施設群。
今回、よけ続けることもおかしいですし、資料はないこともないので、私の方で作成することに相成りました。
内容については、、、書けることは書けますが、深さはないですね。軍事関連で300字以内の文言でまとめるとなると、十二師団の紹介とどこどこに遺構がある、といった指示しかできないのが実情です。
十二師団に関連した遺構は、意外と各箇所に散在していましたが、さすがに近年の財政事情の悪化などで自衛隊関連施設が売り払われた結果、最大の遺構として遺っていた城野の自衛隊施設群が消滅。現在は小倉と北方に僅かに残存しています。
写真は南若園町にある関連施設です。「関連施設」という名称にならざるを得ないのには訳があり、当初の用途がさっぱり分からない施設だからです。ちょっと上には民家があり、倉庫と言うには、構造の奥行きもない。面白いので紹介のしがいはあるのですが、、、ここと書籍で紹介しておいて、情報を募りたいと思います。
今回、よけ続けることもおかしいですし、資料はないこともないので、私の方で作成することに相成りました。
内容については、、、書けることは書けますが、深さはないですね。軍事関連で300字以内の文言でまとめるとなると、十二師団の紹介とどこどこに遺構がある、といった指示しかできないのが実情です。
十二師団に関連した遺構は、意外と各箇所に散在していましたが、さすがに近年の財政事情の悪化などで自衛隊関連施設が売り払われた結果、最大の遺構として遺っていた城野の自衛隊施設群が消滅。現在は小倉と北方に僅かに残存しています。
写真は南若園町にある関連施設です。「関連施設」という名称にならざるを得ないのには訳があり、当初の用途がさっぱり分からない施設だからです。ちょっと上には民家があり、倉庫と言うには、構造の奥行きもない。面白いので紹介のしがいはあるのですが、、、ここと書籍で紹介しておいて、情報を募りたいと思います。
PR
本もお手元に届いた方も現れる頃でしょうから、私の方も本の内容に踏み込んだ遺産の紹介をいたしたいと思います。
ここで満を持して紹介いたしますのは、ワイ・イー・テック本社工場。え、知らない? かつて「紹介したかったもの」で、、、あれ? 紹介していませんでしたか。こりゃ済みません。とにかく、この建物は今回の目玉遺産である「小倉陸軍造兵廠」の関連で工場施設として使用されているほぼ唯一の遺産で、主要書籍の中ではこれまたお初に近い物件です。
かつて知り合いの大学教授に工場見学もさせていただき、「いつか掲載してやろう」と思っていた野望が密かに叶った形になります。内部には当時使用されていたであろう、クレーンの跡などが遺り、造兵廠の息吹を感じることが出来、なおかつ目視確認が出来る市内でも数少ない建物群のひとつです。
ここで満を持して紹介いたしますのは、ワイ・イー・テック本社工場。え、知らない? かつて「紹介したかったもの」で、、、あれ? 紹介していませんでしたか。こりゃ済みません。とにかく、この建物は今回の目玉遺産である「小倉陸軍造兵廠」の関連で工場施設として使用されているほぼ唯一の遺産で、主要書籍の中ではこれまたお初に近い物件です。
かつて知り合いの大学教授に工場見学もさせていただき、「いつか掲載してやろう」と思っていた野望が密かに叶った形になります。内部には当時使用されていたであろう、クレーンの跡などが遺り、造兵廠の息吹を感じることが出来、なおかつ目視確認が出来る市内でも数少ない建物群のひとつです。
「へさきとうだい」と読みます。九州の最北端に位置する門司の部埼に設置された灯台建築です。おそらく、地名の由来は船の突端に対する名称である「舳先」からとられたものでしょう。九州という大きな船の舳先に取り付けられた表示灯、と考えると灯台から見える関門海峡もなかなか雄大に見えてきます。
こちらの灯台の建造年代は対岸の島嶼部にある六連島灯台と同じく明治5年(1872)に作られたものですが、わずか3ヶ月の竣工期間の差で向こうは世界遺産国内暫定リスト入り、こちらは全くの無印となっています。大坂条約に基づいたいわゆる条約灯台と称されるブラントン設計による明治初期灯台のひとつです。基本的には関門海峡を航行する大型船向けに作られた六連島灯台とのセットで機能しうる灯台なのですから、世界遺産登録も当然セットで行って欲しいのですけど、、、駄目ですかねぇ。
こちらの灯台の建造年代は対岸の島嶼部にある六連島灯台と同じく明治5年(1872)に作られたものですが、わずか3ヶ月の竣工期間の差で向こうは世界遺産国内暫定リスト入り、こちらは全くの無印となっています。大坂条約に基づいたいわゆる条約灯台と称されるブラントン設計による明治初期灯台のひとつです。基本的には関門海峡を航行する大型船向けに作られた六連島灯台とのセットで機能しうる灯台なのですから、世界遺産登録も当然セットで行って欲しいのですけど、、、駄目ですかねぇ。
こちらの建物は以前の書籍にも、他の主な書籍にもあまり掲載されていない、いわば「お初」の物件に当たります。だからこそ、ざっと歴史をとりまとめてしまえば一項目書くことが出来る、私にとってはありがたい物件なのですが、だからこそ、どこまで書くべきかといった字数制限との兼ね合いが問題となります。
この建物、詳しいことはポケット版を見ていただきたいのですが、折尾警察署の初代庁舎を現在地まで移築した物件で、今は大学の敷地内にあります。大学を取り囲む形で再開発事業が進められており周囲は赤土ばかりが目立ちますが、この建物の周りだけは芝生に覆われた、すがすがしい空間を持っています。折尾の町の中では、教育機関にふさわしい素晴らしい景観ではないかと思う、私の好きなポイントのひとつです。
この建物、詳しいことはポケット版を見ていただきたいのですが、折尾警察署の初代庁舎を現在地まで移築した物件で、今は大学の敷地内にあります。大学を取り囲む形で再開発事業が進められており周囲は赤土ばかりが目立ちますが、この建物の周りだけは芝生に覆われた、すがすがしい空間を持っています。折尾の町の中では、教育機関にふさわしい素晴らしい景観ではないかと思う、私の好きなポイントのひとつです。
カテゴリー的には筑豊に当たるのですが、『北九州・筑豊の近代化遺産100選』で掲載する物件については、便宜上北九州のカテゴリーで紹介いたします。あらかじめご了承下さい。
という前置きを挟み、今回、小倉鉄道関連施設を改めて紹介しております。
『筑豊の近代化遺産』でも小倉鉄道施設として比較的まとまって紹介されており、私としてはこの部分については改変する必要もなく、今更という感もあるのですが、こちらを紹介しないのは筑豊の近代化遺産を語る上でもったいないので、、、、というより、今回は「重要で載せられる近代化遺産は出来る限り掲載」という方針をとっている(苦笑)で、引き続き掲載と相成りました。
20年くらい前は香春駅(田川側)と石田駅(小倉側)というふたつの保存状態が良好な駅舎が残っていたのですが、現在はこの採銅所駅が一番の駅舎となっています。土木構造物に関しては、今も昔と変わらず石炭産業の気概といったものを見せています。日田彦山線沿線の景観とともにお薦めの鉄道路線です。
という前置きを挟み、今回、小倉鉄道関連施設を改めて紹介しております。
『筑豊の近代化遺産』でも小倉鉄道施設として比較的まとまって紹介されており、私としてはこの部分については改変する必要もなく、今更という感もあるのですが、こちらを紹介しないのは筑豊の近代化遺産を語る上でもったいないので、、、、というより、今回は「重要で載せられる近代化遺産は出来る限り掲載」という方針をとっている(苦笑)で、引き続き掲載と相成りました。
20年くらい前は香春駅(田川側)と石田駅(小倉側)というふたつの保存状態が良好な駅舎が残っていたのですが、現在はこの採銅所駅が一番の駅舎となっています。土木構造物に関しては、今も昔と変わらず石炭産業の気概といったものを見せています。日田彦山線沿線の景観とともにお薦めの鉄道路線です。