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HN:
庵田
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職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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IMG_6157-m.jpg弦書房で発行したいままでの「~の近代化遺産」シリーズでは、筑豊のそれを除き、私が考える「近代化遺産」の基準に影響する形で遺産の選定が行われています。今回の企画でも、筑豊側については一応私の希望を添えておいたのですが、慰霊碑など希望(=私の考える近代化遺産の基準外)に沿わない史跡も含まれつつも、まあまあ学術的なクオリティと近代化遺産愛好者のニーズに沿ったものが出来たのではないかと勝手に考えています。
北九州で紹介している各遺産では、特に私の基準を厳しく適用しているのですが、その中では珍しく、私が片目を瞑って項目に加えたものがこちら。村野藤吾が設計した八幡駅前の近代建築群です。平和ビル(1954年竣工、既に取壊)、八幡図書館(1955年竣工)、八幡市民会館(1958年竣工)まではかろうじて『福岡の近代化遺産』で掲げた江戸後期~1960年までの年代基準に当てはまるのですが、こちらの建物はそううまくいきません。この福岡ひびき信用金庫本店、竣工年は1971年で、高度成長期の建物にも当てはめがたい、ポストモダンの萌芽すら感じさせる作品になっています(村野藤吾自身がポストモダンの源流、という言い方もありかもしれません)。もちろん、建物の素材としての質は現在の者とかけ離れており、十分評価に値する作品ですが、近代化遺産と呼ぶべきか、、、、村野藤吾という建築家自体、近代化遺産建築部門の枠に当てはめづらい方なので、少々難しいところがあります。掲載の是非については皆様の評価に下駄を預けたいと思います。

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P5120050-m-m.JPGこの建物、現在の名称は「岡野バルブ製造第二機械工場」といいます。鈴木商店関連の企業としては、大里精糖所と並び最も古い時期に出来た大里倉庫の施設として出来たもので、戦後岡野バルブ製造が工場拡張の際に自社施設に転用したものです。
線路側の一角しか見ることが出来ず、また、大里倉庫という会社自体そんなに有名なものではなかったため、最近まで重要性に気づかなかった(汗)、今回別の意味で初お目見えな施設だと言えます。
現在の会社自体が原子力発電所にも関わっているため、見学云々はほぼ無理(と書いたものの、この会社の方個人からは「是非見学を」と言われる、、、行っていいんですかね?)でしょうが、門司地区の歴史を語る上では重要な遺産です。皆さんで見守っていきましょう。

P6016615-m-m.JPG今回、執筆の途中で少々困ってしまったのがこの項目「門司の銀行群」でした。最初に横浜正金銀行支店(現山口銀行支店)と藤本ビルブローカー銀行支店(現福岡中央銀行支店)を紹介するところまでは決まっていたのですが、もう一件には最初門司信用組合本店→福岡ひびき信用金庫門司港支店を選ぶ予定でした。
が、本の編集途中で建物が取り壊されてしまいました。まさか、地元の金融機関がそのルーツである建物の本店建築をぶっ壊すとは思わないでしょう? もうショックで何とも、、、その代わりに戦後建築の旧福岡銀行門司支店を急遽差し替えざるを得なくなりました。
話を伺うと、福岡中央銀行門司港支店も移転予定で、後の建物の活用は未定とのこと。
いよいよ門司の歴史を語る建物が少なくなっていきます。何とかしたいのですが、、、、
PC130078-m-m.JPG今までの書籍でも数度紹介されている施設ではあるのですが、それとは違った形で紹介したかった近代化遺産のひとつ。
そもそも文化施設のジャンルで近代化遺産と呼ばれるまで残る建物は本当に数少なく、「娯楽だから」という一歩下に見られた結果、建造物としてなかなか遺されないのが現状でした。ここ福岡県内でもだざいふえん・かしいかえんともにこれは、と一押しで紹介すべき建物がありません。
そんな中で我らが到津遊園、もとい現在は市営となった到津の森公園には、かつての電車通り沿いにこのような建物が堂々とした姿を見せてくれています。
この建物、元々は遊具などがあった「子供ホール」という名称で、後には鳥類の見学施設「とりのらくえん」として到津遊園閉園まで使用されていました。
市営施設として改装されるにあたって、室内見学用施設にリニューアル、建物名称も竣工時のものに戻して、なおかつ色合いも竣工当時の色を採用するという、あっぱれなこだわりぶりを見せています。
かつて見た絵葉書と同じ色合いを見たとき、これぞ文化、と感動した覚えがあります。北九州市内でもここだけは他地域が見習うべき所だ、とはっきり言えますね。

PA180403-m.JPGこちらの建物は陸上自衛隊北方駐屯地に遺されている史料館で、元々は陸軍十二師団の施設として建てられたものです。
現存している中では数少ない、明治中期木造洋風建築なのですが、軍関連ということで、どうしても偏見の目をもたれている方がおり、紹介にも一定の配慮が求められます。
建物の特徴については喋っても大丈夫みたいですが、その歴史については、褒めるでもなし、貶めるでもなし(どちらについても偏る気はありません)。ただ、どう書いても不満を言われやすい物件であることは事実です。
だからこそ、造兵廠関連施設などは地下構造の見学がきわめて制限されていたり、曽根の工場群はなかったことになるのでしょう。その功罪はともかくとして、ある物をないと言ったり、誤魔化してしまうのは、悪い傾向ではないかと思うのは、私だけでしょうか。

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