『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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福岡の近代化遺産刊行記念、ということで、北九州の遺産も便乗して紹介させていただきます。
北九州の近代化遺産を編纂する際、原則戦前の物件(いわゆる近代の時期)を個別項目として採り上げましたが、戦後物件の中でもいくつかについては「まあ仕方ない」とあえて掲載させていただいたものがいくつかありました。この丸窯はそれらの中でも代表的なものです。
日本に煉瓦が移入された際、いわゆる陶芸のような登り窯形式ではなく、ホフマン窯を代表とした輪窯が製造の主流として用いられました。焼成温度を一定に保つことと連続して煉瓦を作ることが可能であったことがその理由です。その近代の様式をそのまま受け継いだ製造方法が黒崎播磨の本社工場に遺っていました。それがこの丸窯です。
現在煉瓦を作る時にはベルトコンベアのようなラインを設けその中で一定の作業を完了させます。コンピュータによる温度制御が可能になった現在では、温度の管理も容易になりましたが、近代では一定した品質を保つために様々な工夫が用いられました。この技術の結晶は工場内に今も受け継がれているのです。
追伸報告:さて、本日より編纂事務局本人(つまり、私)が長期出張のため、しばらく固定パソコンの前からいなくなります。その間、なるべく更新しておきたいとは思いますが、もしかしたら毎日更新がとぎれるかも知れませんので、その点予めお詫びしておきます。帰宅は28日を予定しています。
北九州の近代化遺産を編纂する際、原則戦前の物件(いわゆる近代の時期)を個別項目として採り上げましたが、戦後物件の中でもいくつかについては「まあ仕方ない」とあえて掲載させていただいたものがいくつかありました。この丸窯はそれらの中でも代表的なものです。
日本に煉瓦が移入された際、いわゆる陶芸のような登り窯形式ではなく、ホフマン窯を代表とした輪窯が製造の主流として用いられました。焼成温度を一定に保つことと連続して煉瓦を作ることが可能であったことがその理由です。その近代の様式をそのまま受け継いだ製造方法が黒崎播磨の本社工場に遺っていました。それがこの丸窯です。
現在煉瓦を作る時にはベルトコンベアのようなラインを設けその中で一定の作業を完了させます。コンピュータによる温度制御が可能になった現在では、温度の管理も容易になりましたが、近代では一定した品質を保つために様々な工夫が用いられました。この技術の結晶は工場内に今も受け継がれているのです。
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