『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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編集担当の私として、今回の中で一番美しい近代化遺産の風景を選べと言われると、さんざん悩んだあげくこの一枚を選ぶでしょう。河内の堰堤は確かに美しいのですけど、あちらは静的空間の美を追求したものですし、西日本工業倶楽部のそれも、蝋燭の火に照らされていればまたひと味変わった美しさもあるのでしょうが、、まだ見たことがないので、こちらですね。
工場内の写真の美しさには洋館の美意識とは異なるものがあり、その中のひとつに機械がうなりを上げて製品を作る様に代表される、「動的空間」の美しさがあると思います。ただし、これはなかなか一般の方にとり見ることが出来ないものです。では、何を以て形容するべきか。私は水道施設の生産物である水が織りなす芸術性にそれを見いだしたいと思います。
この構造物は「余水吐」と言いまして、ダムに水が溜まりすぎて堰堤から水が溢れるのを防ぐ為作られたものです。階段状になっているのは水質改善の曝気と緩速を目的にしたものと考えられます。
工場内の写真の美しさには洋館の美意識とは異なるものがあり、その中のひとつに機械がうなりを上げて製品を作る様に代表される、「動的空間」の美しさがあると思います。ただし、これはなかなか一般の方にとり見ることが出来ないものです。では、何を以て形容するべきか。私は水道施設の生産物である水が織りなす芸術性にそれを見いだしたいと思います。
この構造物は「余水吐」と言いまして、ダムに水が溜まりすぎて堰堤から水が溢れるのを防ぐ為作られたものです。階段状になっているのは水質改善の曝気と緩速を目的にしたものと考えられます。
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私は個人サイトを運営しているのですが(今更、と言わずに聞いて下さいな)、そちらに当初掲載していた時は「北九州金属」として紹介しました。その後溶接協会の所有であることがはっきりして、、、書き換えてはいたのですが、さらに関係者の話から「紡績工場であった」とのコメントが得られたため、その裏付け作業に入りました。
今出版企画を起こした際、何か目玉がいるということになり、今まで明らかになっていなかった事実、知られていない建物の紹介を考えることになりましたが、その筆頭格がこちらの建物でした。
鹿児島本線からも見える煉瓦建物。今後の所有もはっきりしている。なのに由来ははっきりしていない。
そうして調べた結果、一時期敷島紡績の所有であったことまで明らかになったのです。
昭和16年、明治紡績は戦時国策によって敷島紡績と合併することとなりました。そのときこの工場施設も敷島紡績のものとなりました。煉瓦造の建物(形式も古い)ですので、敷島紡績時代に作られたことは考えられず、明治紡績工場施設であったことが明らかになったわけです。
この施設周辺には紡績工場時代の建物がいくつか存在し、今回の本ではうち3件を紹介しています。北九州では数少ない軽工業の施設であり、地域としての価値は計り知れないものがあります。今回明らかになった事実を踏まえ、これからも大切にしていきたい工場だと思います。
今出版企画を起こした際、何か目玉がいるということになり、今まで明らかになっていなかった事実、知られていない建物の紹介を考えることになりましたが、その筆頭格がこちらの建物でした。
鹿児島本線からも見える煉瓦建物。今後の所有もはっきりしている。なのに由来ははっきりしていない。
そうして調べた結果、一時期敷島紡績の所有であったことまで明らかになったのです。
昭和16年、明治紡績は戦時国策によって敷島紡績と合併することとなりました。そのときこの工場施設も敷島紡績のものとなりました。煉瓦造の建物(形式も古い)ですので、敷島紡績時代に作られたことは考えられず、明治紡績工場施設であったことが明らかになったわけです。
この施設周辺には紡績工場時代の建物がいくつか存在し、今回の本ではうち3件を紹介しています。北九州では数少ない軽工業の施設であり、地域としての価値は計り知れないものがあります。今回明らかになった事実を踏まえ、これからも大切にしていきたい工場だと思います。
若松に現存するもっとも古い洋館、といわれていましたが、今出版からはそういわれなくなります(詳しくは後ほど、、、)。しかし内装の美しさでは上野海運ビルと併せて若松の双璧とも言える素晴らしい建物だと断言できます。
建造当時の写真に見られる装飾と比較すると、ドーマーがなくなったり、屋根飾りが取り外されたりと、時代の変化に合わせた簡略化がなされてきましたが、建物自体はほぼそのままの形で使用され続けて現在に至っています。
門司港と比較されるほど近代化遺産の多い若松南海岸地区ですが、ここ十年で取毀された建物も数多く、また知られていない近代建築もまだまだあります。今回の本ではそこら辺に着目し、一覧や項目別紹介にもいろいろと書きつづっておきました(ここ辺りは主に私の担当&策略)。特に旧住友銀行若松支店はいままで著名でなかったことが不思議なくらいの作品です。是非とも皆さん本を片手に若松においでください。宣伝したところで、私は一銭も儲からないですけれど(苦笑)。
建造当時の写真に見られる装飾と比較すると、ドーマーがなくなったり、屋根飾りが取り外されたりと、時代の変化に合わせた簡略化がなされてきましたが、建物自体はほぼそのままの形で使用され続けて現在に至っています。
門司港と比較されるほど近代化遺産の多い若松南海岸地区ですが、ここ十年で取毀された建物も数多く、また知られていない近代建築もまだまだあります。今回の本ではそこら辺に着目し、一覧や項目別紹介にもいろいろと書きつづっておきました(ここ辺りは主に私の担当&策略)。特に旧住友銀行若松支店はいままで著名でなかったことが不思議なくらいの作品です。是非とも皆さん本を片手に若松においでください。宣伝したところで、私は一銭も儲からないですけれど(苦笑)。
製鐵所関連遺産とも言うべき釘の工場。辰野金吾が作った、ほぼ唯一といっても良い工場建築です。
安田財閥の創始者の安田善次郎がどうしても釘工場を造りたいという意志を持ち(ここあたりの動機は分からないのですが、、、)八幡製鐵所の完成、及び本格操業とともに八幡に進出したのが現在の工場です。辰野の作品の中でも比較的晩年に属する建物です。ただ、工場施設であるが故に、どうしても知名度の点で他の作品(銀行建築が多いのもこの一因)に劣ります。
工場見学についても寛容なところで、少人数でも事前連絡で応じていただけるでしょう。建物の歴史についても会社のサイトにて詳しく紹介しています(一部建物を解体したのですが、そのときの調査記録までサイトで公開! すばらしい会社です)。
是非一度見学企画を行いたい工場のひとつですね。
安田財閥の創始者の安田善次郎がどうしても釘工場を造りたいという意志を持ち(ここあたりの動機は分からないのですが、、、)八幡製鐵所の完成、及び本格操業とともに八幡に進出したのが現在の工場です。辰野の作品の中でも比較的晩年に属する建物です。ただ、工場施設であるが故に、どうしても知名度の点で他の作品(銀行建築が多いのもこの一因)に劣ります。
工場見学についても寛容なところで、少人数でも事前連絡で応じていただけるでしょう。建物の歴史についても会社のサイトにて詳しく紹介しています(一部建物を解体したのですが、そのときの調査記録までサイトで公開! すばらしい会社です)。
是非一度見学企画を行いたい工場のひとつですね。
一応、1901の愛称を持ち八幡製鐵所創業時の名を受け継ぐ構造物ですが、実際は昭和37年に造られた高炉です。ですから、有形文化財としての価値ではなく、「史跡」として保存管理されています。
先日UNESCOに対する産業遺産諮問組織の事務局長であるスチュアートスミス氏が訪れたときはこの保存状態に大きな不満を持ち、発掘調査をしてでも創業時の高炉の位置を特定すべきだとおっしゃったとのこと、、、これには修繕工場などの創業当時の施設を見せていない事にも原因があるのですが、たいそうご立腹していました。
製鉄所施設群の価値を高め、世界遺産に登録を目指そうという気概が少しでもあるのならば、こういった重要なイベントの際には少しは配慮していただきたい(市の一部部署は最低限の努力をしたと思うのですが、、、)と願うばかりです。
手前側に見える建物は、計画段階では「産業技術博物館」となるはずだった建物です。もう、ここあたりからボタンの掛け違いがあったのかもしれませんねぇ。