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プロフィール
HN:
庵田
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男性
職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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bd-kitashoko-waka3-s.JPG今回の本の中で採りあげた物件のうち、一番最初に取り毀される建物になることが確定してしまいました。若松南海岸通りの港湾地区指定が解除され、南向きのシーサイド景観がマンション業者の格好の的となり、何が何でも作りたい、、らしいです。
逆転ホームランの出来るような秘策、無いでしょうか。最近若松地区で活動するという機会に恵まれなかっただけに(暇とお金が欲しいです、、、)、この解体ニュースは残念で仕方ありません。

私がこの項目について執筆する際気をつけたのは、手垢の付きすぎた外見部分ではなく建物が持つ歴史的意義を強調することでした。明治期の石炭販売における中央資本の進出と地元の対抗、それを象徴する施設として、古河鉱業ビルの向かい側に位置する事を含めて若松の歴史を背負う重要な文化財です。責めて外観だけでも保存していただけませんか? 業者さん。
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nikkayushi-s.JPGこれがそのいわく付きの建物です。拙サイト「今月の一枚」にも載せている写真ですが、ちょうどこの面が神話かと道路のトンネルから直接見える格好になります。
油脂工場と言うことで、新規設備に切り替えても良さそうなものではあるのですが、そこら辺を伺ってみたところ「建て替えると税金が大幅に掛かってしまう」ため、このような施設群を敢えて遺しているとのこと。
工場施設に対する愛、と言うより金銭面が表立った保存形態で、これはこれで面白い事例だな、と感慨に浸りました。

若松区の中でも大正期までに作られた埋立地にある施設で、日常人が多く通う空間ではありません。だからこそ、わざわざ見る価値がある、と思うのは、、、多分日本には数少ない(私は当然含みます)のでしょうねぇ。
suematsu-s.JPG「謎の多い建物」と微妙な紹介を続けたここ数年。一念岩をも通ずと言いますか、研究のためではなく、建物を利活用したまちづくりの為に記事を書かせていただきたいと説得することで、ようやく掲載させていただくことが出来ました。実際出来た書籍がまちづくりに寄与できるものとなればよいのですけど、、、書いた本人はそういう思いで書いたものですから。
「末松商店」とは、八幡地区に近代存在した製鐵所お抱えの人集め何でも屋のようなもので、セメント樽や枕木、鉱山採掘や保険業、醸造業など多岐にわたり業務を行っていたとても魅力ある会社でした。その栄光を今に伝える施設がこれ。黒崎駅からもよく見えるようになりましたし、駅北のバイパスからは本当によく目立つ施設です。

いままで建築学会あたりがこの施設を無視していたことも哀しくなりますが、それは所有者の意志も働いていた事を知るにつけ、この地域にはまだまだ(学会的に)マイナーな作品があるのではないかと意識を新にした自分的記念施設です。
何事もひとつの見解が表す事実だけが全てではない、と思い知らされた敬意を表すべき施設です。製鐵所と地元資本との関わりを考える上でまだまだ知られていない事実がここには隠されています。研究することも多く遺されているので、今度また伺いますね。
oosakasoda-s.JPG堂々と表写真に使用されている写真の建物は、既に大部分が解体されておりちっとも現状の姿を写していないという、いわく付きの工場施設(困笑)。
とはいえ、工場見学につてもなく、いつ壊されるとの情報もなく、私が外側から撮った写真と社史その他資料でひと原稿できてしまいましたという、何ともな話です。この工場は歴史的経緯にももう少し掘り出し物がありそうで、悔いの残る物件でした。
煙突や工場内施設にも気になる部分が数多くあります。工場見学したいなー、でも化学プラントだから、つてがないと無理そうだなあ。

水銀法による苛性ソーダ精製法を確立した工場で、日本の高度成長を支えた施設であり、また水銀中毒による公害問題をも不本意ながら引き起こしてしまった、哀しい過去の原点をも持つ工場でもあります。功罪併せて貴重な文化財として取り扱っていくべきですが、現役工場の宿命か今後建物も気付かれることなく取り毀される危険性が高く、私の意地で今回掲載しました。やっぱり工場見学したいなぁ。
nippun-souko-s.JPG私が建築関係のNPO事務として所属する前、建築の大学院生(だったはず)時代にこの工場を見学しました、、、この言い方は適切ではないですね。工場自体は既に稼働を停めていて、白く塗られた6階建ての工場棟がまだあったとき、そのNPOの方に誘われて中を見学する機会に恵まれました。
またその内部というのが、実に「凄い」もので(この様子はいずれ掲載したかった~の方で記載します)、もう取り毀しが確定していただけに実に残念に思えたものでした。
現在見ることが出来る煉瓦造の倉庫棟は、取り毀しに辛うじて遭うことなく現在まで遺されている建物群です。ただし、例の福岡西方沖地震でいくらかのダメージを受けているところもあり、そこあたりちゃんと補修してくれるかどうか、、、若干不安です。
歴史的経緯については割愛(本買って読んでね)しますが、港湾施設とレンガ棟とのコントラストは実に美しいもので、これが小樽ならば、舞鶴ならば、、、と悔やまれる部分の多い佳作です。
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