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プロフィール
HN:
庵田
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男性
職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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書籍紹介
『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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kanmon-tatekou-s.JPG今回の出版企画で私は16件の詳細物件紹介と地図確認、及び近代化遺産一覧の文責を負っています。
これらのうち一番手間暇が掛かったものは、、当然一覧リストですが、この他にもこだわりをもって書いた文章が当然あります。
ただ、全てにおいて記載したい「こだわり」があるか、、、と言われるとなかなか難しいもので、納期に合わせ必死の思いでまとめたものも少なからずあるわけで、、、ここら辺の違いは文章の中でご確認ください。意外と簡単に見分けがつきます(笑)。

さて、こちらの物件は私がNPO内で調査していない中では一番のこだわりを持って書いたものだと断言できます。なにせ、自ら「これは書かなければならない、私に書かせろ」と志願したくらいです。他の文章は、、えっと、、(略)。
関門鉄道トンネルは世界初の海底鉄道トンネルとして造られました。当然ここには数々の技術革新的な工法が用いられ、また多くのドラマをも有しています。
私が今回の書籍で文章をまとめる際、特に調査を行っていない物件に関しては、いくつ使えるエピソードをまとめることが出来たか、またいくつの物件を紹介できるかと言ったところを1000~2000字まとめる際の構成の目安として用いました。この作品に関しては紹介するところが多すぎたため、ギリギリ2000字でまとめざるを得ませんでした。そのくらいの物件です。
さて、今回紹介されている写真、皆様には何の用途で使用されているものが分かりますか? 答えは、、、本を読んでくださいね(笑)。
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matsumototei-s.JPGこの顔にぴんと来たら110番、、じゃなくて。
この写真もまた本の中では一切紹介されていないものです。でも、買っていただいた皆様(初版本に限定されますが)および新聞広告をご覧になった皆様は、目にしているかと思います。
これ、宣伝用に用意した(撮りだめ写真フォルダの中からとりだした)写真なのです。西日本工業倶楽部=旧松本邸住宅は、地方都市の中でも有数の本格的な洋館として知られ、国の重要文化財に指定されています。
はっきり言ってしまうと、ここの写真はどこを撮っても画になるため、何を使っても良かったのですが、私はこのランプのついた暖かみのある一枚がどうしても気に入っているため、一枚に選びました。
宣伝などで用いられている際には、下部分の絵にならないノイズを削除してあります。オリジナルだからと言ってありがたがる要素はここにはないですね(苦笑)。
建物の説明はいつものように、本を読んでのお楽しみ、でお願いいたします。
P1190047-s.JPG建物についての思い出は尽きませんが、区切りの意味を込めて今回でいったん話をまとめましょう。
医院としての営業を終え、現在建物は改装、再活用に向け少しずつではありますが、動き出しています。木造建築の本格的な利活用については、法律的な部分も含めなかなか難しいところか数多く、触れづらいところでもあります。
それでもこの建物が小倉の地に長くある意味、「自らの来し方を振り返りこれから歩く道を鑑みる」ことは、長らく日本人が忘れてしまっている、自分たちが自分たちであることの理由を問いかけ直すことに寄与するのではないかと、私は勝手に考えています。
ご覧になっている写真は、現在の「旧岡田医院」です。建物の屋根を葺き替えて、今後は外装の整備に取り組む予定になっています。
okada-munafuda-s.JPGさて、本邦初公開(Web上では、の話ですが)、岡田医院から発見された棟札です。
NPOでの調査ではまずは実測図の作成(取り毀される可能性もあったため)と現状調査とが平行して行われました。
そのときの「屋上の点検」での出来事を中心に話を致します。
8月の盆休み、暑くて暑くてとてもやってられない時期に、これまた条件としては最悪な屋上調査を志願して臨みました。
その頃はまだ図面記録調査の手順になれておらず、画板での記録に向いていないこともあったためなるべく足手まといにならないよう配役を変わって貰った、とも言えるわけですが(苦笑)。
そのときの屋上の状態というものがまた凄いもので、ホコリが平均50mmくらい積もっているような酷い状況でした。幸い梁はしっかりしていたので、それを渡りながら当時の大工仕事の記録調査を進めます。墨書きによる梁の通し番号(イロハと一二三四の漢数字で縦軸と横軸とを表記していた)の確認を進めながら、妙に天井に木切れが多いことに気付き始めます。
どうも屋上に何か小屋のようなものがあった事だけは確認できたのですが、それと同時に建物棟上げ当時の記録を記した「棟札」が無いことにも気付きます。そんなさなか、私は妙な木ぎれを発見します。
一方が三角状に加工され、しかし人の背丈ほどの長さを持ち幅も広くあります。
建設業者でもある会員のひとりに「これなんでしょうね」、と尋ねると「と渡り板じゃないの」との返事。それでもどうしても気になり裏面を覗いたところ、なんと、小倉警察署改築~、と書いてあるではないですか!
「出た! 警察署だ!」と思わず叫んでしまいました。 これを聞いた某会員は違法駐車をとがめられたと思わず外に出たとのこと(笑)。

この成果は、建物についての新事実を明らかにするとともに、今まで各書籍でこの建物を昭和12年の竣工と書いていたことと照らし合わせ、私の心に既存物件の行っていることは必ずしも真実とは言えないという、疑問を持つ研究精神をも身につけさせて結果とも結びつきました。今の私の研究姿勢の原点がここにあったわけです。
NPOでの通り名称(私が呼んでいるだけの話かも)は「と渡り板」。この時の発見状況からとられたことはいうまでもありません。
ho-okada2-s.JPGこれだけは一回ではとうてい語れません。今回の出版企画の出発点にして、私がこの研究活動から抜けられなくなった転機にもなってしまった作品です。

昔、小倉の予備校に夏季講習などに行ったときは変な建物があるな、くらいにしか感じていなかったものでしたが、建物に関心を持つようになってからは何とはなしに親しみを持つようにもなりました。
建物が気になった機会、これだけは明確に覚えているのですが、平成16年になったばかりの冬に珍しく医院の扉が開いており、そこでおばさま方が井戸端会議しているのを見かけたのです。
何を話しているのかは通りすがりだったためさっばりわかりませんが、
「そうですか、、さびしくなりますね」
の一言だけははっきり聞き取れました。

あ、これは取り毀されるのか? とその頃はおぼろげながらに不安感を持ったものでした。
その数ヶ月後、ちょうどゴールデンウィークの時期に当たりますが、「その」岡田医院を調査することになり、これまた入ったばかりのNPOでの初仕事で聞き取り作業から開始することになったのです。

(次回に続きます)
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