『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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原稿があらかた届くと、次は校正作業と相成ります。
これは『北九州の近代化遺産』でも当然あった話でありますが、前回は編集側の人間それぞれが部分修正したものを持ち寄る、という作業に終始し、全体的に原稿を変更したというものは数えるほどにしかありませんでした。
今回は『九州産業考古学会報』の校正形式を採り、編集代表から届いた校正原稿を見て私から再修正をかける手順を踏みました。
で、だいたい7月初旬には全ての原稿が届きそこから編集代表が原稿に手を入れて私に原稿が届いたのは、8月初めのことでした。
一目見て、愕然としたことを覚えています。
自分の原稿がずいぶん変わっているのです。文章が削られた、表現方法が変わったでなどであればまだ驚きは少なかったのですが、自分の関知しない部分がずいぶん加筆されていたのです。これは他の執筆者に至っても同様でした。
正直、頭を抱えました。執筆者から苦情が出ても仕方ないくらいの変更量です。
少しくらいの文章量(ex.会報)であれば、元原稿を読んで私があまりにも変更がひどい部分について復元する作業を採るのですが、今回は、他の用事に追われておりそんな暇がありません。ある程度の修正・復元作業を妥協しながらやるほか在りませんでした。
当然、校正会議は若干荒れ気味となるのですが、それは次回で紹介します。
これは『北九州の近代化遺産』でも当然あった話でありますが、前回は編集側の人間それぞれが部分修正したものを持ち寄る、という作業に終始し、全体的に原稿を変更したというものは数えるほどにしかありませんでした。
今回は『九州産業考古学会報』の校正形式を採り、編集代表から届いた校正原稿を見て私から再修正をかける手順を踏みました。
で、だいたい7月初旬には全ての原稿が届きそこから編集代表が原稿に手を入れて私に原稿が届いたのは、8月初めのことでした。
一目見て、愕然としたことを覚えています。
自分の原稿がずいぶん変わっているのです。文章が削られた、表現方法が変わったでなどであればまだ驚きは少なかったのですが、自分の関知しない部分がずいぶん加筆されていたのです。これは他の執筆者に至っても同様でした。
正直、頭を抱えました。執筆者から苦情が出ても仕方ないくらいの変更量です。
少しくらいの文章量(ex.会報)であれば、元原稿を読んで私があまりにも変更がひどい部分について復元する作業を採るのですが、今回は、他の用事に追われておりそんな暇がありません。ある程度の修正・復元作業を妥協しながらやるほか在りませんでした。
当然、校正会議は若干荒れ気味となるのですが、それは次回で紹介します。
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