『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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炭鉱といいましても、石炭を運び出す坑口は複数あることが通常のスタイルです。
炭鉱会社が持つ炭鉱(場所)はいくつかあるとして、その炭鉱内には穴の入り口が複数あり、それぞれを指す場合には「炭坑」あるいは「坑」という単語を用います。
それでこちらの坑口の話。この坑口は「宝珠山炭鉱」という会社が持っていた第一坑~第三坑の穴のうち、第一坑として使用されていたものです。その名称が示すとおり、もっとも古い時期に開削されたもので、穴の上部には「宝珠山炭砿」と漢字と英文で併記されています。
宝珠山炭鉱は伊藤伝右衛門が経営していた炭鉱であったことから、近年の「白蓮ブーム」にあやかる形で多くの来客を迎えています。(宝珠山炭鉱倶楽部記事参照) これに併せてこの坑口周辺も公園整備されました。
整備されました、、、が、現在は坑口を近くで見せるためなのか、側壁に立派すぎるコンクリートの覆いがかぶせられ、往時の炭坑設備がもつ歴史の重みといった風情が台無しになってしまっています。整備して多くの方を迎えたい、という気持ちは分かるのですが、どうにかならなかったものか、と悔やまれてなりません。
炭鉱会社が持つ炭鉱(場所)はいくつかあるとして、その炭鉱内には穴の入り口が複数あり、それぞれを指す場合には「炭坑」あるいは「坑」という単語を用います。
それでこちらの坑口の話。この坑口は「宝珠山炭鉱」という会社が持っていた第一坑~第三坑の穴のうち、第一坑として使用されていたものです。その名称が示すとおり、もっとも古い時期に開削されたもので、穴の上部には「宝珠山炭砿」と漢字と英文で併記されています。
宝珠山炭鉱は伊藤伝右衛門が経営していた炭鉱であったことから、近年の「白蓮ブーム」にあやかる形で多くの来客を迎えています。(宝珠山炭鉱倶楽部記事参照) これに併せてこの坑口周辺も公園整備されました。
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