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プロフィール
HN:
庵田
性別:
男性
職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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書籍紹介
『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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ある意味、自分の責任と言えるのですが、9月に建築士会のイベントで新若戸道路の工事現場を見学したときに、塀の向こう側に工事中の周囲の風景には似つかわしくない鉱滓煉瓦の工場を見つけました。
古色ゆかしき、というよりも工場としての威厳すら思わせるたたずまいには何とも言えないものを感じさせ、後で必ず見学に行こうと思いつつその日はそれで終わったのです、、、、が、
数日後九州国際大学で出版社との打ち合わせを行ったとき、
「三稿ともなると追加は出来ませんねぇ、いや惜しい物件があったのですが」
と先日見た工場の話をすると、
「いや、今調べれば載せられるのでは?」
「それを加えるとちょうど掲載物件が60件になりますし」
あ、これマズイ状況になってる?
しかも今から原稿を書けってふんいきでスカ?

その後のスケジュールは以下の通り。概略で。
1.その日のうちに(無理くり)下原稿を完成させる(大体1000字程度)→
2.工場見学下見→
3.工場見学と聞き込み、追加資料収集→
4.原稿完成といきなり校正
この間、一週間弱です。清水先生の手持ち資料と私の土壇場根性がなければ絶対に出来ない業でした。
あー、きつかった。
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もう本をお手元に持っている方、なおかつ「おわりに」を読んでいる方にとってはご周知のことかと思いますが、今回の出版企画は「北九州市における産業観光振興策」という私が大学修士課程時代に作った報告書を元にしています。
こちらの報告書、その企画の元々は北九州市の某部署からお話を持ちかけられ、喜び勇んで作ったものでした。いや、正確にはその気合いの残滓で作ったものと言えましょうか。
企画を持ち込んでいただいた方は、4月で突然転任され、それまでいろいろと企画していたもの、例えば参考書籍の購入やアンケートなどの諸条件が後任の方によってことごとく反故になりました。極めつけは博物館企画の大幅変更と言語に表せない屈辱的なメールです(とてもここでは書けません、、、私がキレるので)。
そんなこんなで、それなりの気合い(やる気のある部分とそうでない部分との格差が激しい)で作った報告書。当然自分としては、多少の悔いが残っています。

他人のせいにするには、まだやる気も残っていたようで、清水先生から企画を持ちかけられたときは、市内各地を行脚する覚悟も決めていました。
最近では「北九州マスター」とか、「北九州マニア」なんて言われ方もしますが、元々まち歩きと歴史書の熟読が好きな性分がまたまた地域という対象に入れ込みやすかっただけで、純然たる歴史研究の分野では私でも勝てない方がこのまちには数多くいます(だからこそ、楽しいわけですが)。
今回の出版企画には、私のまち歩きとひと探しと言った側面が色濃く反映されていると思います。
kukiokamura-s.JPGこの「掲載したかったもの」シリーズの中ではもっとも悔やまれる、もう少しで掲載が可能であったにもかかわらず、掲載できなかった痛恨の遺産群です。
ちょっとこの建物群に関する経緯について軽く紹介します。もともとは製鐵所の従業員住宅の不足に悩まされた雇用側(国ですね)と住宅誘致に乗り出した若松市との利害が一致して洞海湾を挟んだ若松側に作られた50棟100世帯用の集団住居群でした。
日本には数多くの住宅がつくられ、また社宅に代表されるデザインの統一した住居群も数あまたあります。しかし自分たちで自治意識を持ち「洞岡村」という名前まで使用して、さらに洞海湾を挟んだ製鐵所への通勤には専用の波止場まで設けて通っていたという事実はここを措いてそうないでしょう。何とも不思議な話です。
また保存状態もなかなかのもので、現在でも半分程度は当時の面影を遺す建物を見ることが出来ます。

さて、これについてですが、既に学会で研究発表されており、また編集側としても「どうしても(主に私が)」載せたかったため、ここを熱心に研究している先生にアポイントを取り、執筆の了承まで頂き、手はずは整っていた、筈でしたが、
原稿が、落ちました(号泣)。
今回無念の掲載見送りとなりました。K先生には、いずれ、何らかの形でここの話をまちづくり団体相手に発表して貰います。そうでもしないと、もったいなくて仕方ないのです。
本の出版日が18日となりましたが、14日には販売書店および関係者には届きます。
また、16日からは先行販売も始まるため、実質明後日からは本に関する情報をここでつまびらかに紹介できる状態となります。

なぜここまで神経質に情報公開を嫌がったのかといいますと、今回出版の書籍には事務局ベースでちまちま地域のことを調べた成果が学会を通さない形で紹介されているからです。
つまり、まだ著作権の確定していない情報がそのまま載せられている部分も多く、実際出版されないと(主に私が)調べた成果がそのままパクられてしまう可能性も高いからです。
私はご存じのとおり、金も地位も名誉もない一介の学生ですから、せめて自分の調べた情報くらいは自分の成果として持っておかないと、他人が喜ぶだけのただの無駄働きになりかねないわけです。
ここあたりは民間でも特許関連のごたごたでよくある話ですから、ご理解いただけるのではないかと思います。

そんなこんなで今まで曖昧にしておいた情報群も徐々に紹介しておきたいと思います。今後の更新にご期待ください。
ch-kurosaki-s.JPGくどいようですが、今回の掲載範囲は時代では基本的に1945年までとしています(新たに判明したものや、各著者のごり押しで原則を曲げている部分はあります)。
もし、私が個人の裁量で「これを載せたいっ」と言うならば、まずこちらの教会を挙げたいと思います。
歴史的経緯はともかくとして、たたずまいの美しさ、及び黒崎の戦後発展を中心部で見つめてきたことも考慮に入れ(加えて設計がW.M.ヴォーリズであることも当然鑑みて)、こちらは紹介したいな、と思っていました。
でも、、、せっかく出来た前提を事務局担当が破ってしまうと、ルール自体が破綻してしまいますからね、、、ということで今回は見送りとなりました。
現在建物周辺では再開発問題が持ち上がり、建物の存続も危惧される状況です。この建物くらい遺さないと、黒崎のセンスも疑われる、と思うのは私だけでしょうか。
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