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プロフィール
HN:
庵田
性別:
男性
職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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技術史に関心を持っていようと、そうでないにせよ、何かしらのエピソードがないと文章的にいっぱしのものを書く自信がありません。
これは出版の時にも言いましたし、また現在依頼されている文章に関しても同じ事を表明しています。

1か0かと言った理系的表現に、明快な表現の正義はあります。
でもそれを正論と言いきれるには、不安をぬぐえません。
自分が誰かの教えを受けている、いないにも原因があるのでしょうが、むしろのそ薫陶を受けていないからこそ、問題の複雑さが明らかになっているのかもしれません。

私は物事の事実、その証明に物語を多用します。
その物語が是か非かを判別することで、一覧に掲載すべき「事実」を鑑定したいと思います。
これが、、、、まあ、難しいんです。ここで勝手に言い表しますが、表現者によって、なんてバカなことを、と言われるでしょうねぇ。
、、、しり切れトンボですが、今回は問題提起で終わります。ごめんなさい。
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kokuratamaya-s.JPG菊屋百貨店とは、言わずとしれた小倉玉屋のことです。小倉で当初営業を始めるにあたり、地元資本による反対運動が起こったため、地元百貨店のイメージを持たせる目的で別名称の百貨店を作りあげました。
今ではある意味考えられない話です。広く知られたネームバリューが最優先されそうな所を、そうならなかった。それだけでも面白そうな話がありそうです。

今回書籍に載せる詳細物件リストを作成するにあたり、清水先生が欲しかった(でも諸事情の元無理だった)ものに、「百貨店・芝居小屋・公設市場」の3点セットがありました。
もし玉屋の建物がのこっていたら真っ先に載せられていたことでしょう。実際『北九州市の建築』には高評価で掲載されています。
なぜこの建物が掲載されなかったか、ここで言葉を尽くすのはやめることにします。とにかく残念と言うほか、ありません。
pomp-wakamatsu-s.JPG私の性分と言いますか、他人をねじ伏せるような完璧な論文よりも、どこか和ませたり、楽しませたりするコラム的文章の方が好きだったりします。そんなものであまり出世するタイプではないのかもしれません(苦笑)。
さて、そんな私ですから、今回の書籍であまり遊び的な要素がないことには、少々不満を持っていました。旧五市のマンホール写真掲載を提案したり、実際のコラムコーナーも当初の予定では考えていたのですが、なんだかんだのごたごたで見送りとなってしまいました。
それでも掲載したかったもの、として私は「手押しポンプ」を推したいと思います。

若松本町商店街沿いの各所に存在したポンプですが、アーケードの設置に伴い順次撤去。現在は商店街とその周辺部に数カ所のみが遺されています。もともとの用途は「防火用水」。これは戦時中の若松で空襲激化に伴って安全のためつくられた、立派な軍事遺産です。
文化財を考える上で、私たちはどうしても見た目の派手さや中央の歴史から考えた重要性ばかりをもてはやしますが、本当はこのような身近な遺産がもたらした「家族の安全」の方が重要なのだと思い知らされます。今でも当然ポンプからは水が出てきます。人々の幸せを見守ってきた重要な遺産です。
地域のことを調べるとき、まず書籍を当たります。市史・行政出版系→学会関連研究報告→郷土史・Web情報の順番が適当だと思われます。
まず市史系列で地域の基礎知識を養います。これがないと見当はずれな事を書いてしまうこともあります。Webで情報を調べてみるのもまあ、有りと言えば有りですね。
それから学会での報告を調べてみます。ちゃんと調べている人のものであれば、市史以上の成果が期待できます(「ある」「ない」の見当付けが面倒ですけど)。
さらに深く追求したい場合は、郷土史の報告を調べてみましょう。概ねこだわりのある報告が載せられています。最近では地域史の研究をWebで公開されている例も多くありますので、ここにもチェックが必要ですね。

既に調べる場所の見当がついている場合は、企業が発行している社史を調べてみるのも手です。意外と学会が見落としている事実がカッチリ掲載されていることが、本当に良くあります。今回も何度助けられたことか、、、。

さて、見当がつきましたね? 後は歩くだけです。ひたすら、踏査してください。都市部以外では車の使用も妥当な場合がありますが、それだと肝心なものを見落としてしまうことや、「意外な発見」のチャンスを失うこともあります。近代はまだ人の視点を大事にしていました。それを調べるときに車の視点を用いることは、遺産に対してある意味無礼ではないか、とも言えます。出来る限り歩いて調べて貰いたいですね。
一番肝心な事として、「ねばり強く調べること」が必須不可欠です。悉皆調査のような途方もない作業は、一にも二にもやる気がないと途中で挫折してしまいます。さあ、皆さんも地元に帰ってレッツトライ!、、、してくれればいいなぁ。
*注……今回の記事に忠実に従うと、大学研究室や学会あたりで居心地が悪くなります。余程の気概と野心、そのたやる気があれば、、、いや、そこまでやらんでもいいような。つまり、出世云々については「頭が良くない」方法です。

近代化遺産を研究する際、建築端にとって最重要資料と位置づけられるのが『日本近代建築総覧』です。
東京大学の藤森先生をはじめとする建築史のお歴々(その当時は違うかもしれませんが)が精魂込めて調べ上げた成果として、今もこれを抜きにしての調査はあり得ないくらい評価されています。
北九州市の場合、、、たしかにこの調査に基づいて「発見」された(地元の方々に評価されなかったものを再評価された、と言う意味)建物は数多くあります。調査に立脚した成果物である『近代建築ガイドフック』、『北九州市の建築』はかなりの出来映えです。

しかし、だからこそ、私は今回の調査の際これら資料を最重要視はしない事に心掛けました。なぜかと言いますと、『日本近代建築総覧』に載っていなかった建物が、それであるが故に取り毀しの大きな理由とされてしまった事例が多くあること、また調査の対象地域によって大きな「ムラ」が見られること、さらにその調査成果も間違いが少なからずあること、等々です。
また「近代化遺産」の調査と言うことで、機械遺産や土木遺産の調査も同時に行わなければなりません。これに関してはそれらの学会でやはり独自に調査を行っていますが、それもまた「中央の視点」で述べられたもので、地域に残るものを必ずしも全て採りあげたものではなく、また評価基準も歴史的要素はあまり加味されていないようにも感じました。

今回私が一覧を作成するときに一番心掛けたことは、首都圏がどのように評価しているかというノイズを出来るだけ削除することでした。この地域にとってどれだけの意義があったか、意義を問いづらい物件であったとしても長い風雪に耐えてもなおそこにあり続けた意味、それを考えながら、一軒一軒踏査していきました。
まあ、その気概が強すぎたために一部先生からは嫌われましたけど(笑)、それだけの成果物になったと思います。とりあえず、いつ死んでも悔いはないかな(苦笑)、、、や、まだ『福岡の近代化遺産』もやらないと、、、あー、でもこれをやるとますますお偉方にケンカを売る結果に、、、。
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