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HN:
庵田
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職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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P5316447-m.JPG一見した限りでは、どこにでもあるタイル張りの銀行建築で、どこが古いの? と言われても仕方ないたたずまいを持っています。が、建物の裏側を見るとおやおや、窓が縦長でずいぶんコンクリートが厚く施されています。建物表側で古い建物と気づく方は、ほぼ皆無かと思いますが、もし気づかれた方がいらっしゃったら、きっとそれは近代建築マニアでも相当なレベルです(笑)。
もともとは中津市に本社があった豊前銀行が昭和12年に竣工させた支店建築でした。それ大分県内の銀行大同合併によって大分合同銀行、のち大分銀行となり、現在まで使用されているものです。
、、、と、ここまで書けば、元の原稿分くらいの容量になってしまうんですね。こちらの建物は北九州地域内で完全ボツ原稿になってしまったものです。こちらで紹介することによって、若干の供養になったでしょうか、、。
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出版前の1ヶ月間は、もうモデルコース(+地図)の事しか頭にありませんでした。
そろそろ原稿を挙げなければならない、筑豊側の状況が今ひとつ分からない、それでも何か北九州と筑豊とを混ぜたコースを造らなければならない、とそういった切羽詰まった心境でした。
本当ならば、こういった心境下でモデルコース作成、という牧歌的な作業をやるべきではないのです。もっと余裕のある出来に、ふわふわと鼻歌でも歌いながら、コースの構想を練らなければならない、と個人的には思います。
思えば世界遺産東京シンポジウムの時も、午前中に出版社から電話が掛かってきます。さて、どうするかといいながら、翌日福岡空港に着くやいなや天神へ。まだまだ打ち合わせを行い、2週間後には出版と。
どうにもぎりぎりです。精神的に他のことを出来る状況下にないのです。この本の一番後ろ側には、そういった私の不機嫌かつどうしようもない状況を彷彿とさせる(困笑)文章が連なっています。思い出す度に、ああ、こういった作業はやりたくないな、と思うばかりです。
筑後を控えているわけですが、ね。

PB051505-m.JPG今回、北九州側は結構色々な作品を採りあげられたので、結構満足しているのですが、筑豊側には若干の悔いがあります。その最たる遺産が、こちら。
伊藤伝右衛門邸が多くの入場者で賑わっている中で、この炭鉱主住居ブームにうまく乗り込んで、同時にまちづくりにも生かそうと立ち上がったのが、宮若市の有志の方々。この方々にとっての観光の核として注目を集めているのが、この邸宅です。
貝島一族は直方を中心に活躍した筑豊三大炭鉱主の一角で、現在筑豊にはこの旧六太郎邸のみが現存しています(福岡市内に後二件あります。詳しくは『福岡の近代化遺産』参照)。
さてこの遺産、私からの紹介希望リストには掲載してあったのですが、ちょうど時期が悪かったというか、出版企画が始まったときにはまだ気運の盛り上がりに欠けていたため、惜しくも掲載できませんでした。しかし、、、紹介しないのはやはりおかしいのでは、と後で言われてしまうくらいのスケールを持った遺産です。またしても残念でなりません。
今回、新書版の出版企画ということで新規に調べ直しを行っているところは、実はそう多くございません。
新しく採りあげて貰った(筑豊側)+こちらで採りあげた(北九州側)物件については、当然調べなければならないものではありますが、実は前回の出版企画の段階である程度調べているものも多く、新規項目の数を上回るほどの苦労はありませんでした。
、、、、はっきり言ってしまうと、200~300字程度の文章紹介であれば、私個人のウェブサイトの更新とそう変わらないのです。気分さえ乗れば、一日10項目程度書くことも可能です(そんなに調子がよい日なんて一年の内そう何回もあるものではないですが)。
そんな中で特に現地で聞き込み取材を行い、気合いを入れて新規に執筆した物件は何項目かあります。
私が担当した33項目の中でも、「小倉陸軍造兵廠」、「西南女学院ロウ講堂」あたりは2007年以降に取材して、独自視点が書けるな、と見越したものです。ただ、そういったものに限って字数制限の厳しさは返ってネックになってしまうのですが、、、
前回に引き続きます。
前回申し上げたとおり、今回の出版企画は世界遺産登録に際しての民間支援の色合いが強くあります。でなければ、現存建造物物件のない目尾炭鉱はあまり入れたくないですし、碑文群は、、、だから、炭鉱閉山後に出来た慰霊碑は近代化遺産のカテゴリーに入れるべきではないです。復元建築も近代化遺産とは言えません。どうも前回の企画での齟齬もあったように、筑豊サイドとは、意見が合いませんねぇ。もっと紹介すべき中小炭鉱遺産や関連分野の第三次産業などの商店建築を入れたいのですが、、、くどいですね。申し訳ございません。
とまれ、世界遺産の支援目的があったものですから、慰霊碑などの掲載にも目を瞑りました。しかしながら、海外審査委員の考え方と私の意見が比較的合っていたのかも知れません。やはり近代化遺産と題するからには、建造物(戦後竣工の碑文は含まない)に限定すべきなのです。私が何かできたかも知れない、と考えると、残念で仕方ありません。が、その機会は与えられませんでした。
筑豊には、多くの炭鉱遺産がまだあります。それらは、かつての炭鉱閉山に関する悲しい記憶と、個人所有の遺産であるが故の掲載の困難さがあるが故に、今回またまたその多くが掲載されませんでした。しかし、そのことは炭鉱遺産がないことにはつながりません。
たとえ文化財担当が知らなくても、知っていて掲載したくなくても、旧日吉炭鉱施設群や三菱マテリアル所有の煉瓦造施設、北九州炭鉱の斜坑や旧貝島六太郎邸などは他地域に紹介すべき近代化遺産ですし、いずれ何らかの形でねばり強く紹介すべく努力したいです。しかしながら、今回紹介できるだけの根回しが出来ず、とにかく、出版を急いだこともあり、筑豊にはまたまた残念な思いを抱かずにはいられません。
いずれ、自分自身でリベンジが必要なのでしょう、、、ううむ、大変だ。
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