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プロフィール
HN:
庵田
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男性
職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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筑豊の近代化遺産発刊を控え、福岡県近代化遺産紹介シリーズもようやく形になってきたと思います。
『福岡県の近代化遺産』調査報告書発行という絶好の機会があったにもかかわらず、何故か外されてしまいかつ重要性が見た目にも明らかな遺産群を、何とかごり押しで拾い起こすことが出来たことには、とりあえず自画自賛したい、、、と思います。
もちろん、地域資源の掘り起こしはかくあるべき、という好例を見せていただいた北海道新聞社発行の「~の近代建築」シリーズ、また弦書房の果断を導き出した砂田光紀氏著『九州遺産』はじめ、先見の功績には感謝感激いたしたく、ここにリスペクトいたします。これらと片野教授の『北九州市の建築』がなければ、ここまでうまくいかなかったことでしょう。

8月下旬(少し発行期日が延びたらしい、、、)に刊行される『筑豊の近代化遺産』では、(現在の基準では)明らかに加えなければならない遺産も多数掲載予定(と思う、、、とりあえず私が推薦した遺産群が載っていれば)ですので、ご期待下さい。
さて、、、こうなるとあと遺されている地域は、筑後地域のみなんですが、、、、これ、私がやらなきゃならんのですかねぇ? 今のところ、主筆(候補者)は決定しているものの、対象遺産や執筆者が不確定のままなんです。さてどないしましょうか。
私は、、、とりあえず、自分の家から2時間以上離れたところで事務局作業はやりたくないです。出来れば、執筆も、、、と言いたいんですけど、もう既に肥薩線を引き受けちゃったから、言い訳にならんわなぁ。どうしよ。

(以前の書き込みが雑だったため、修正加筆いたしました。2008/07/30)
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本の原稿見直しが最終的に終了(それで誤植が無くなったというわけでなく)し、レイアウトが決まり、どこも動かしようがなくなってから、実際に本が出来上がるまで、だいたい2週間程度の時間(注:あくまで地方出版社が2000文程度の書籍を作る場合です)を見ることにしています。
その間どんな作業があるかといいますと、本の印刷→インク乾燥→もう片面の印刷→乾燥→裁断→製本
というようなものです。当然、これらの作業は編集側ではなく、出版社に行っていただくことになりますので、この間私たち執筆者はただはらはらして待つほか、ありません。そしてこの間ミスが見つかっても、もう無理です、ということになります。
第一陣の本(裁断・製本を優先的に行い、何冊か作成した物)が編集に届いたのは、2008年の初頭、1月11日でした。ここでようやくお疲れ様、といえる状態となったのです。
今企画の際、あまり記録を残さなかったため、途中話が前後することもございましたが、編集事務局の遍歴としては今回で打ち止めです。今後、増刷などの話題が出ることがあれば、こちらのカテゴリーでの更新を行うこととします。
『北九州の近代化遺産』刊行後には20ヶ所以上の誤記が発見され、二刷の段階でそれらは修正しましたが、福岡においてももう既に数カ所発見されております。乳牛舎を掲載すべき所を収納舎を掲載したり(筆者と確認したのですが、、、)、棟札と書くべき所を「梗札」と書いたり。そりゃないよ、という間違いがひょんなところで登場することもあり、こうなると嘆くほかありません。編集は自分ですから、自分が悪い、で終始します。
筆者からの原稿提出から、最初の校正が終わるまで1~2ヶ月(今回は2ヶ月くらいかかりました。事情はこちらへ)ほどかかります。ここから編集サイドによる数頁の修正作業があります(原稿追加はこの頃行われる)。これが1~2ヶ月。さらに詰めの作業として、地図へのプロット、写真追加、さらに校正×2と、編集やる人間は休まる暇がありません(ひとりで行うべき作業じゃない)。
この中でいくつかのミスが発見されます。そのときは大喜び、と言った状態でしたが、問題は抜き差しならなくなったときのミス。前述した「写真間違ってます」と言ったやつが刊行1週間前に見つかる場合です。これは、もう無理です。俗に言う、「輪転機回ってますから」状態です。初版は2000部なので、一日以上かかる作業ではないものの、発売日の1~2週間前には輪転機を回し、インクの乾燥作業→裁断作業を行うことになりますから、この時点の指摘は、もう、「次にお願いします」と言うほかありません。
そんなこんなで、共著の編集(編集代表ならいざ知らず)は常にびくびくして連絡を伺わなければなりません。精神的に、余りお薦めできんですね。
本が出たときの心境は? と聞かれることが時々あります。
対外向けにはいろいろと述べていますが、一冊目上梓時も二冊目の時も余り変わらず「そんな感慨より他のことで忙しい」というのが本音です。
特に今回の企画では、準備段階では全国大会×2があったり、刊行後には折尾駅関連の委員会やら、イベントやら(2/23にシンポジウム有り)、自分自身の論文やらでかかり切りにならざるを得ず、出版できた、だから何? と逆ギレを起こしかねない、もう、情けない状態です。
さて、そういった個人事情はさておいて、『北九州の近代化遺産』と『福岡の近代化遺産』、編集時点での違いと言いますと、
・福岡では一覧作りが一からやらなければならず、大変だった。
・福岡では仕事分担が無駄に多く大変だった。
・福岡では校正作業がやたら白熱したものとなり、正直困った。
・福岡では対象範囲がやたら広くて、写真撮影が大変だった。
、、、大変なことしかないのか、、、、。
実際どちらが作りにくかったかと聞かれると、それは断然福岡に軍配を揚げます。それは、参考文献が少ないことや執筆断念物件が多かったこともありますし、また自分の地元と言いづらい部分があって警戒したぶぶんも多くあったこともあります。
(見えざる「大学OBの誰か」とか、「行政のどなたか」とかいうプレッシャーがあったことも否定できません)
やはり、自分自身の境遇も徐々に変わってしまったことも大きいでしょうね。なにやら、大きなうねりの中で、自分が取り込まれてしまいそうな、そんな不思議な(嫌ではない)予感がします。
今回の編集代表からは、文章の校正作業が若干遅れただけで「そんだけしか仕事してないの」という嫌みを言われる状態でしたが、もっとも、本というものは文章の校正作業だけでは出来ないことは自明の理です。
体裁の決定、販売戦略などは出版者にお任せする部分ですが、表紙写真はどうするか? 地図は誰が作るのか? 何頁か足りないとき、誰が補填するのか? なんて事があります。これは前回同様に私の仕事となります。
ただ、今回はそれらに加え、執筆者との細かい折衝や愚痴聞き、出版社との細々とした打ち合わせも私が受け持つこととなってしまい、大学で何度か打ち合わせしましたが、何ですか、どうしてここまで? とか、俺何様? とか考えるコトしきりです。前回は、編集代表の小間使い的位置づけが強かったため、まあそれはそれで居心地も良い(実際立場的にはそんなところでしょうし、え・ら・く・な・い・し!)感じでしたが、今回は仕事が多く、その割に不満ばかり周りに言われ続け(いわば、残業代が出ないチェーン店店長並みの中間管理職)、やる気が落ちるのを防ぐのに大変でした。
逆に言えば、前回の状況が恵まれすぎていたのかも知れません。終わってみれば、良い経験、と言えないことはないです。多分。
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