『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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*注……今回の記事に忠実に従うと、大学研究室や学会あたりで居心地が悪くなります。余程の気概と野心、そのたやる気があれば、、、いや、そこまでやらんでもいいような。つまり、出世云々については「頭が良くない」方法です。
近代化遺産を研究する際、建築端にとって最重要資料と位置づけられるのが『日本近代建築総覧』です。
東京大学の藤森先生をはじめとする建築史のお歴々(その当時は違うかもしれませんが)が精魂込めて調べ上げた成果として、今もこれを抜きにしての調査はあり得ないくらい評価されています。
北九州市の場合、、、たしかにこの調査に基づいて「発見」された(地元の方々に評価されなかったものを再評価された、と言う意味)建物は数多くあります。調査に立脚した成果物である『近代建築ガイドフック』、『北九州市の建築』はかなりの出来映えです。
しかし、だからこそ、私は今回の調査の際これら資料を最重要視はしない事に心掛けました。なぜかと言いますと、『日本近代建築総覧』に載っていなかった建物が、それであるが故に取り毀しの大きな理由とされてしまった事例が多くあること、また調査の対象地域によって大きな「ムラ」が見られること、さらにその調査成果も間違いが少なからずあること、等々です。
また「近代化遺産」の調査と言うことで、機械遺産や土木遺産の調査も同時に行わなければなりません。これに関してはそれらの学会でやはり独自に調査を行っていますが、それもまた「中央の視点」で述べられたもので、地域に残るものを必ずしも全て採りあげたものではなく、また評価基準も歴史的要素はあまり加味されていないようにも感じました。
今回私が一覧を作成するときに一番心掛けたことは、首都圏がどのように評価しているかというノイズを出来るだけ削除することでした。この地域にとってどれだけの意義があったか、意義を問いづらい物件であったとしても長い風雪に耐えてもなおそこにあり続けた意味、それを考えながら、一軒一軒踏査していきました。
まあ、その気概が強すぎたために一部先生からは嫌われましたけど(笑)、それだけの成果物になったと思います。とりあえず、いつ死んでも悔いはないかな(苦笑)、、、や、まだ『福岡の近代化遺産』もやらないと、、、あー、でもこれをやるとますますお偉方にケンカを売る結果に、、、。
近代化遺産を研究する際、建築端にとって最重要資料と位置づけられるのが『日本近代建築総覧』です。
東京大学の藤森先生をはじめとする建築史のお歴々(その当時は違うかもしれませんが)が精魂込めて調べ上げた成果として、今もこれを抜きにしての調査はあり得ないくらい評価されています。
北九州市の場合、、、たしかにこの調査に基づいて「発見」された(地元の方々に評価されなかったものを再評価された、と言う意味)建物は数多くあります。調査に立脚した成果物である『近代建築ガイドフック』、『北九州市の建築』はかなりの出来映えです。
しかし、だからこそ、私は今回の調査の際これら資料を最重要視はしない事に心掛けました。なぜかと言いますと、『日本近代建築総覧』に載っていなかった建物が、それであるが故に取り毀しの大きな理由とされてしまった事例が多くあること、また調査の対象地域によって大きな「ムラ」が見られること、さらにその調査成果も間違いが少なからずあること、等々です。
また「近代化遺産」の調査と言うことで、機械遺産や土木遺産の調査も同時に行わなければなりません。これに関してはそれらの学会でやはり独自に調査を行っていますが、それもまた「中央の視点」で述べられたもので、地域に残るものを必ずしも全て採りあげたものではなく、また評価基準も歴史的要素はあまり加味されていないようにも感じました。
今回私が一覧を作成するときに一番心掛けたことは、首都圏がどのように評価しているかというノイズを出来るだけ削除することでした。この地域にとってどれだけの意義があったか、意義を問いづらい物件であったとしても長い風雪に耐えてもなおそこにあり続けた意味、それを考えながら、一軒一軒踏査していきました。
まあ、その気概が強すぎたために一部先生からは嫌われましたけど(笑)、それだけの成果物になったと思います。とりあえず、いつ死んでも悔いはないかな(苦笑)、、、や、まだ『福岡の近代化遺産』もやらないと、、、あー、でもこれをやるとますますお偉方にケンカを売る結果に、、、。
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