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プロフィール
HN:
庵田
性別:
男性
職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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三回目の『北九州の近代化遺産(仮)』編集会議は12人の参加で、2005年8月20日に行われました。
今回は新日鐵OBにして、製鐵所研究の隠れた有力研究人、菅さんによって市内の各種近代化遺産について説明が行われました。
菅さんは建築雑誌『建築ジャーナル』九州版において、「21世紀に残したい北九州の建築100」選と題した建物紹介をなされており、従来の建築冊子と異なった視点で記された内容は、連載当時私もかなり注目したものです。

その後の会議では、大枠として「遺されているものを中心にまとめる」という方針を明らかにしましたが、何か遺っていないと書かないというのもどうか、と言う意見がありました。
ただ、遺されているものを以て考えていくのがまちづくりではないか、という姿勢もあったため、何か部材でも遺っていれば掲載、との見解でまとまりました。
その基準に立って、現在60件の詳細掲載リストが出来上がったというわけです。
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第2回編集会議は最初の回から一月後、7月16日に開催されました。
参加人数は10人、予告通り中身のメインは勉強会として清水先生が「北九州地域の発展がどのようなものだったのか」について概略の講義を行いました。完全に大学の講義といった感じです。しかし参加者の意識が高いため、質問もばんばん飛び交い、記事録を読み返すとかえって講義後の方が面白い状態になっています。

休憩を挟み、出版関連の話題に進みます。
モデルとしては、この頃はJTBキャンブックスの『日本近代化遺産を歩く』をモデルに考えていました。今仕上がりを見ると、若干地域へのこだわりが強めのものになっていますが、これは私たちのやり方の方がまちづくり資産として良かったのではないかと思います。
ただ、今から考えるとここでいくつか大きな失敗をしてしまったのです。
詳しくはいずれ紹介しますが、大きなものとしては文章のガイドライン(凡例)を紹介しなかったことが挙げられます。このため後で大きな苦労を背負う羽目に、、、。
写真については、執筆者に提供して貰うことがベストなのですが、「こまったら庵田くんに提供して貰う」という清水先生の一言。
、、、私ですか、そうですか。
確かに、言われた写真は大概持っているだけの自信はあるのですが、昔撮った写真なんかは、クオリティに問題があります。画素数の面で問題となるのでは、と言われれば、今なら最新機種のデジカメを無理して買ったので、どうにかなるのですが、、、この時私は会社退職後でギリギリの貧乏状態でした。新しいカメラは買えません。
いくつか問題をはらみながらも、どうにかなるのでは、と言う訳の分からない自信だけは持ったまま、2005年の夏は過ぎていくのです。
今回ブログに話題提供するため、過去の議事録(私が全て記録したんですよ、、、しんどかった、、)を漁ってみましたが、15回も集まってます。
よくもまあ、大人数集めて会議したものです! しかも平均8名くらい集まっているから大したもんですね。
当初はお互いの能力を補完するための勉強会を兼ねての会議だったため、そんな参加人数になったのかもしれません。

それはともあれ、表題の話です。
出版の意を決定してから、私の方からは清水先生の「出版に対する思い」をまとめたメールを一斉送信。この趣旨に賛同してくださった方が約15~20名おり、この方々を一堂に会する委員会を設けることにしました。

第1回『北九州市の近代化遺産(仮称)』編集会議は2005年6月25日に九州国際大学にて行われました。
この時のメンバーは総勢14名。
清水先生の紹介が3名、私の紹介が5名。あとは九州産業考古学会の会員が4名という内訳です。
最終的には総勢23名の共著となったこの本ですが、この初回に集まったメンバーはほぼ全員が執筆しています。
やはり一番気になるところとしては、掲載物件の選定、そのための「近代化遺産」をどう捉えるかといったところでしょう。これについては次回詳しく紹介いたしたいと思います。
第1回会議の方針としては、「地域産業化の象徴として」よりも、「北九州の歴史を語ってくれるものとして」の近代化遺産を紹介していくという大前提が示されました。

戦後復興期まで(大体1960くらいまで)の遺産も掲載するべきかどうか、というところは次回持ち越しになりましたが、まず継続しての編纂委員会を第3土曜日4時から定期的に行うことが確認されました。まずは第一歩といったところです。
私の報告書は九州国際大の清水先生の手に渡りました。
先生は、『北九州市史・産業経済編1』や『北九州市産業史』の編纂を初めとした市史研究の泰斗であり、またバーミンガム大学に留学経験を持つ(数少ない)産業考古学への理解者でもあります。
先生はかねがね建築学にも土木学にも大きく依存しない、地域史の観点に立ったまちづくり冊子の発行を考えており、そこで私の研究報告書が役立つと判断したそうです。
私の報告書、「北九州市における産業観光振興策」の中でもとりわけ223件の産業遺産粗リストと産業観光モデルコース、年表を元にして、近代化遺産の概説本を作ろうと話を持ちかけられました。

報告書を半ば見捨てられていた私にとって、その提案は会社を辞するに十分すぎるものでした。
私は会社を辞め、非常勤のNPO事務という立場に転職。同時に出版編纂委員会の事務局として、共著のメンバーを募る作業に取りかかったのです。
出版という響きには、何とも言えない夢とあこがれがあると思いませんか?
かくいう私もそのひとりで、何とはなしに「20代までに1冊本を出すぞ!」と気負っていたものです。
そんな思いも大学に入り、自分の才のなさに気付くとすっかり封印していました。

そんなこんなで卒業。私は1年間の期限付きで某博物館設立に向けた報告書の作成作業に携わりました。
なにせ、就職の可能性が濃厚な案件です。そりゃあ、一生懸命やりましたよ。しかし、そんな報告書も博物館の方針変更によって、出来てみたもののほぼお蔵入り状態、、。ぐれてしまいたくなりますな。
しかしこの報告書データが元となり今回の出版企画になるとは、思いもよらなかった事実です。

もうすっかりはぶてた私は、学問の世界にいったん見切りを付けます。
私は知り合いの紹介で某工場メンテナンス会社に就職。そのまんま、製鐵所構内で陰鬱とした日々にけだるさを感じる予定でした。(続く)
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