『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
普段福岡都市圏に勤務している方々は、さすがにご当地で宿を取るという経験をなされない人も多いかもしれません。しかし九州の商都としてかつても今もこの地を訪れる方は多くありました。そんな方々をもてなす宿は、当然博多を象徴する魅力があってしかるべきです。
ここ、鹿島本館にはそんな博多の華が遺っています。福岡市で最初に文化座盛登録された建物であることも、なるほど、と頷く内装は、一見の価値があります。福岡都市圏以外の方々には、泊まり場所として、周辺の方々には料理を楽しむ場所として自信を持ってお薦めいたします。
最近はこの旅館を訪れるお客さんは外国人が多いようで、内部の案内板が日英併記であったことには、少なからず衝撃を受けました。海外の皆様の方が、この建物の魅力により気づいているのかも、しれません。
ここ、鹿島本館にはそんな博多の華が遺っています。福岡市で最初に文化座盛登録された建物であることも、なるほど、と頷く内装は、一見の価値があります。福岡都市圏以外の方々には、泊まり場所として、周辺の方々には料理を楽しむ場所として自信を持ってお薦めいたします。
最近はこの旅館を訪れるお客さんは外国人が多いようで、内部の案内板が日英併記であったことには、少なからず衝撃を受けました。海外の皆様の方が、この建物の魅力により気づいているのかも、しれません。
PR
福岡市に行ったことのある人間にとっては、おなじみの建物です。市内に住んでいる方々ならば、おなじみを通り越して、空気のような存在になっているのかもしれません。ご存じ、辰野金吾博士が設計した代表作品の一つで、国重要文化財に指定されています。もう、この一件をもって福岡を文化都市と位置づけているくらいのインパクトを持っています。
ただ、この都心部にあった多くの近代建築は平成に入ってから次々と取り壊されてしまい、おそらく、政令指定都市の中でも昨今もっとも近代化遺産が取り壊された都市になってしまった現在、福岡に残る一級品の建物は良くも悪くもこの建物が代表、と言われる結果となっています(九大まで行けば、結構な作品も続々あるのですが)。
県公会堂貴賓館の修復が一刻も早く完了し、都市のランドマークが復活してもらうことを願っています、、、しかし、それにしても、福岡市中心部には都市の記憶が少なくて、寂しい限りです。
ただ、この都心部にあった多くの近代建築は平成に入ってから次々と取り壊されてしまい、おそらく、政令指定都市の中でも昨今もっとも近代化遺産が取り壊された都市になってしまった現在、福岡に残る一級品の建物は良くも悪くもこの建物が代表、と言われる結果となっています(九大まで行けば、結構な作品も続々あるのですが)。
県公会堂貴賓館の修復が一刻も早く完了し、都市のランドマークが復活してもらうことを願っています、、、しかし、それにしても、福岡市中心部には都市の記憶が少なくて、寂しい限りです。
炭鉱といいましても、石炭を運び出す坑口は複数あることが通常のスタイルです。
炭鉱会社が持つ炭鉱(場所)はいくつかあるとして、その炭鉱内には穴の入り口が複数あり、それぞれを指す場合には「炭坑」あるいは「坑」という単語を用います。
それでこちらの坑口の話。この坑口は「宝珠山炭鉱」という会社が持っていた第一坑~第三坑の穴のうち、第一坑として使用されていたものです。その名称が示すとおり、もっとも古い時期に開削されたもので、穴の上部には「宝珠山炭砿」と漢字と英文で併記されています。
宝珠山炭鉱は伊藤伝右衛門が経営していた炭鉱であったことから、近年の「白蓮ブーム」にあやかる形で多くの来客を迎えています。(宝珠山炭鉱倶楽部記事参照) これに併せてこの坑口周辺も公園整備されました。
整備されました、、、が、現在は坑口を近くで見せるためなのか、側壁に立派すぎるコンクリートの覆いがかぶせられ、往時の炭坑設備がもつ歴史の重みといった風情が台無しになってしまっています。整備して多くの方を迎えたい、という気持ちは分かるのですが、どうにかならなかったものか、と悔やまれてなりません。
炭鉱会社が持つ炭鉱(場所)はいくつかあるとして、その炭鉱内には穴の入り口が複数あり、それぞれを指す場合には「炭坑」あるいは「坑」という単語を用います。
それでこちらの坑口の話。この坑口は「宝珠山炭鉱」という会社が持っていた第一坑~第三坑の穴のうち、第一坑として使用されていたものです。その名称が示すとおり、もっとも古い時期に開削されたもので、穴の上部には「宝珠山炭砿」と漢字と英文で併記されています。
宝珠山炭鉱は伊藤伝右衛門が経営していた炭鉱であったことから、近年の「白蓮ブーム」にあやかる形で多くの来客を迎えています。(宝珠山炭鉱倶楽部記事参照) これに併せてこの坑口周辺も公園整備されました。
整備されました、、、が、現在は坑口を近くで見せるためなのか、側壁に立派すぎるコンクリートの覆いがかぶせられ、往時の炭坑設備がもつ歴史の重みといった風情が台無しになってしまっています。整備して多くの方を迎えたい、という気持ちは分かるのですが、どうにかならなかったものか、と悔やまれてなりません。
新幹線もすべて停車するJR博多駅からたった3駅、原町駅から西に歩いて10分程度にこの光景があります。もちろん、周辺がど田舎、というわけでもありません。若干の田畑はありますが、どちらかといえば都市近郊農業地といえるべき位置にある農場です。
九州大学農学部の成立とともに作られた農場で、現在は周辺が都市化するに伴いだんだん周囲から浮いている状態となっています。大学移転に伴い農場も移設、跡地は新駅の設置と再開発構想が計画されています。そうなると、当然この農場も完全消滅と相成ります。しかし、正門から続く並木道(書籍参照)といい、設立当初から残るいくつもの建物(これも大部分は書籍参照)といい、ここには町中とは別の貴重な時間が流れています。福岡空港から車で10分圏内にあって、しかも伝統的な大規模農業の施設が遺っている景観は、もはや文化財級と言うほかありません。
初稿提出当初は「九州のイーハ・トーヴ」という副題が付いていましたが、編集代表の「わかりにくい」という声からこれはあえなく削除となりました。しかし私個人としては「西の小岩井農場」と称するにふさわしい、すばらしい農村景観であると断言します。何とか保存できないものだろうか、、、。
九州大学農学部の成立とともに作られた農場で、現在は周辺が都市化するに伴いだんだん周囲から浮いている状態となっています。大学移転に伴い農場も移設、跡地は新駅の設置と再開発構想が計画されています。そうなると、当然この農場も完全消滅と相成ります。しかし、正門から続く並木道(書籍参照)といい、設立当初から残るいくつもの建物(これも大部分は書籍参照)といい、ここには町中とは別の貴重な時間が流れています。福岡空港から車で10分圏内にあって、しかも伝統的な大規模農業の施設が遺っている景観は、もはや文化財級と言うほかありません。
初稿提出当初は「九州のイーハ・トーヴ」という副題が付いていましたが、編集代表の「わかりにくい」という声からこれはあえなく削除となりました。しかし私個人としては「西の小岩井農場」と称するにふさわしい、すばらしい農村景観であると断言します。何とか保存できないものだろうか、、、。
福岡市中央区浄水通、といういかにも都市部の中にあるような名前ですが、建物自体はそんなに都市部にありません。近年開通した地下鉄に近接してはいますが、あくまで住宅地に近い建物といって良いでしょう。
建物の性格上、あまり話題に上らない施設といえます。で、一応かつては「近代建築ガイドブック」西日本編の中に掲載されましたが、他の建物群が続々取り壊される中で、かろうじて残っているといわざるを得ない作品です。
設計者のスワガーは、神戸のムスリム教会や横浜カトリック教会など多くの居留地建築に携わりました。この建築家が携わった建物があるということが、町の格に通じるといっても間違いはないでしょう。
、、、まあ、まさか取り壊されることはないと思いますけど、ね。
建物の性格上、あまり話題に上らない施設といえます。で、一応かつては「近代建築ガイドブック」西日本編の中に掲載されましたが、他の建物群が続々取り壊される中で、かろうじて残っているといわざるを得ない作品です。
設計者のスワガーは、神戸のムスリム教会や横浜カトリック教会など多くの居留地建築に携わりました。この建築家が携わった建物があるということが、町の格に通じるといっても間違いはないでしょう。
、、、まあ、まさか取り壊されることはないと思いますけど、ね。