『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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常に水不足の問題を抱える福岡市の最初の水がめとして作られたダムの堰堤施設です。私が今回の企画の中で気に入っている写真のひとつです。
、、、というより、『北九州の近代化遺産』表紙写真のパクリなんですけどね!
紅葉と石張ダムとのコントラストは意外なほど絵になるんです。私自身、写真に撮ると実際より美しく見えていることに気づき、かえって恐縮してしまったほどです。
紅葉時の見所として、福岡市界隈では前原市の雷山千如寺や友泉亭公園が高名ですが、こちらの紅葉もなかなかのものです。来年の紅葉時期には、皆様も訪れてみてはいかがでしょうか。
あ、ひとつだけ注意事項が。この写真を撮った曲淵ダムパークへ行くルートは入口が非常に分かりづらいです。一度必ず地図で確認してからお出かけ下さい。私も何回か迷ってたどり着いた事を付け加えておきます。
、、、というより、『北九州の近代化遺産』表紙写真のパクリなんですけどね!
紅葉と石張ダムとのコントラストは意外なほど絵になるんです。私自身、写真に撮ると実際より美しく見えていることに気づき、かえって恐縮してしまったほどです。
紅葉時の見所として、福岡市界隈では前原市の雷山千如寺や友泉亭公園が高名ですが、こちらの紅葉もなかなかのものです。来年の紅葉時期には、皆様も訪れてみてはいかがでしょうか。
あ、ひとつだけ注意事項が。この写真を撮った曲淵ダムパークへ行くルートは入口が非常に分かりづらいです。一度必ず地図で確認してからお出かけ下さい。私も何回か迷ってたどり着いた事を付け加えておきます。
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この写真を紹介するのは、全体像を見せるより建物のすばらしさを伝えるに値するのではないでしょうか。これだけ立派ですがすがしい主張を持った玄関ポーチを私は他で見たことがありません。威厳を保たせながらも様式からは脱却した、表現主義風の傑作ではないかと思います。はじめ第一外科教室の研究室・病室として用いられ、つい最近までは大学生協の施設が入居していました。
ここで少し心配なお知らせを。一週間前この建物の様子を見に行ったところ周囲に足場が組まれており、解体準備を思わせる雰囲気が漂っていました。しかも、このほかの作品にもユンボの陰が、、、見ておくなら今の内、かもしれません。
2月9日追伸
この建物は、解体されたため現存しません。今年度、医系キャンパスではこの旧第一外科教室と看護婦宿舎の二棟が解体されました。一般への告知が殆どなされないままの解体は、無念というほかありません。
ここで少し心配なお知らせを。一週間前この建物の様子を見に行ったところ周囲に足場が組まれており、解体準備を思わせる雰囲気が漂っていました。しかも、このほかの作品にもユンボの陰が、、、見ておくなら今の内、かもしれません。
2月9日追伸
この建物は、解体されたため現存しません。今年度、医系キャンパスではこの旧第一外科教室と看護婦宿舎の二棟が解体されました。一般への告知が殆どなされないままの解体は、無念というほかありません。
遺構の残存状況について若干苦言を述べさせていただきましたが、私自身はよほどの悲惨な残存状況でない限りは掲載対象物件として採り上げたいと考えています。その最低ライン(これくらい遺っていなければ、掲載したくない)が、この施設です。
現在は大学の会議室、、、というより、私の所属研究室から歩いて50メートルくらいの位置に施設保存されているマントルピース(暖炉)です。当時のよすがを知ることの出来るものを近代化遺産の個別事項として採り上げていますが、この暖炉が「最低限」かな、と思っています(単体で採り上げるには少し「弱い」と思いましたので、他にあるいくつかの遺構と併せて項目に採り上げました)。
さて、この物件ですが、元々は博多駅(現在の位置ではなく、地下鉄祇園駅寄りにあった旧博多駅時代のもの)の貴賓室にあった暖炉だとのこと。様々な経緯を経て、現在は建築学科の学生たちに、近代の美意識とはどのようなものだったかとを教えてくれます。
現在は大学の会議室、、、というより、私の所属研究室から歩いて50メートルくらいの位置に施設保存されているマントルピース(暖炉)です。当時のよすがを知ることの出来るものを近代化遺産の個別事項として採り上げていますが、この暖炉が「最低限」かな、と思っています(単体で採り上げるには少し「弱い」と思いましたので、他にあるいくつかの遺構と併せて項目に採り上げました)。
さて、この物件ですが、元々は博多駅(現在の位置ではなく、地下鉄祇園駅寄りにあった旧博多駅時代のもの)の貴賓室にあった暖炉だとのこと。様々な経緯を経て、現在は建築学科の学生たちに、近代の美意識とはどのようなものだったかとを教えてくれます。
一旦九大関連の遺産を特集し出すと、学部ごとでもきりがなくなります。各学部ごとに近代の痕跡が濃厚に保存されているからに他ならないからですが、そんな中でも格段の歴史的インパクトをもつ建物のひとつがこちら。
実にお恥ずかしい話ですが、私自身、博士課程として大学院に戻ってくるまでこの施設の存在に気づかなかったくらい、実に奥まった位置にある施設です。
建物の竣工は昭和19年、しかも原子核実験施設というその存在だけでも、色々と想像をかきたてさせるものが多くあります。キャンパス総合移転計画に基づき将来の動向は定かならない施設ですが、そういった問題以前に、日本の戦史を考える上では、文句なしに重要文化財クラスの建物だと考える次第です。
当然のことながら、内部見学は出来ません。現役の実験施設ですから、当たり前ですね。
実にお恥ずかしい話ですが、私自身、博士課程として大学院に戻ってくるまでこの施設の存在に気づかなかったくらい、実に奥まった位置にある施設です。
建物の竣工は昭和19年、しかも原子核実験施設というその存在だけでも、色々と想像をかきたてさせるものが多くあります。キャンパス総合移転計画に基づき将来の動向は定かならない施設ですが、そういった問題以前に、日本の戦史を考える上では、文句なしに重要文化財クラスの建物だと考える次第です。
当然のことながら、内部見学は出来ません。現役の実験施設ですから、当たり前ですね。