『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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ニッスイとマルハの発祥の地はご存じの通り下関です。そのうちマルハ←太洋漁業←林兼産業は下関から東京へと進出していきましたが、ニッスイ←共同漁業←田村汽船は業務拡大のために一度北九州・戸畑に本拠を移し、遠洋漁業の生産から加工、従業員教育までに到る一大拠点を築き上げました。
近年まで昭和初期の漁業基地工場施設が遺っており、それをメインに紹介したいな、と思っていたのですが、2005年初めにあえなく解体撤去。本の中では写真に紹介している事務所とこの裏側に作られた煉瓦造倉庫を掲載しています。
ニッスイの企業的要因もあるのですが、この建物は駅側から背を向け、港に立ち向かうかのように建てられています。発展貢献者の国司浩助の海洋を以て食糧の安定供給を図るという主旨の理念は、現在でもニッスイのハム・ソーセージやニチレイの冷凍食品と言った形で家庭の食卓に運ばれています。
これは余談ですが、田村市郎(田村汽船創業者)-国司浩助-鮎川義介(日立金属・日産自動車創業者)はお互いが親戚筋に当たるため、戸畑移転はこの親戚筋による影響があったと考えられます。
もしくは、関門海峡を挟み、海からの視点で見れば下関と戸畑は隣も同然と言うことでしょうか。
近年まで昭和初期の漁業基地工場施設が遺っており、それをメインに紹介したいな、と思っていたのですが、2005年初めにあえなく解体撤去。本の中では写真に紹介している事務所とこの裏側に作られた煉瓦造倉庫を掲載しています。
ニッスイの企業的要因もあるのですが、この建物は駅側から背を向け、港に立ち向かうかのように建てられています。発展貢献者の国司浩助の海洋を以て食糧の安定供給を図るという主旨の理念は、現在でもニッスイのハム・ソーセージやニチレイの冷凍食品と言った形で家庭の食卓に運ばれています。
これは余談ですが、田村市郎(田村汽船創業者)-国司浩助-鮎川義介(日立金属・日産自動車創業者)はお互いが親戚筋に当たるため、戸畑移転はこの親戚筋による影響があったと考えられます。
もしくは、関門海峡を挟み、海からの視点で見れば下関と戸畑は隣も同然と言うことでしょうか。
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COMMENT
国司浩助と日水戸畑支社
2006/12/25(Mon)21:39:59
国司浩助の4男国司義彦です。国司浩助を検索していて
見覚えのある戸畑支社の建物がヒットしたので、びっくり。日水に在籍した兄国司清隆(浩助長男)は今年亡くなりました。私の知る限りの情報提供をいたします。 |
Re:国司浩助と日水戸畑支社
書き込みありがとうございます。
出版を機会に今まで分からなかった情報が舞い込むようになり、嬉しい悲鳴を上げています。 国司浩助は海洋国家日本がこれからを展望するとき必ず回顧されるべき人物だと思います。お手持ちの史料や思い出などございましたら、お聞かせ願えると幸いです。 |
資料提供の方法を教えてください。
2007/01/04(Thu)16:40:52
国司浩助の話は、左記URL国司義彦のホームページにある自己実現の手帳、日本水産に『国司浩助論叢」『ニッスイの原点』『国司浩助小伝』にあります。送付先住所お知らせ下さい。
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Re:資料提供の方法を教えてください。
温かい申し出ありがとうございます。
ただいまメールにて連絡先を送信いたしました。 こちらの方を活用させていただき、将来的には成果物を作成いたしたいと思います。仕上がり次第(少々お時間を頂きたいと思います)、またご連絡いたします。 |
共同漁業(日水戸畑支社)ビルについて
2007/08/16(Thu)10:47:49
「共同漁業(日水戸畑支社)ビルは2005年に解体された」とありますが、2007年8月現在、健在とのこと。日本水産100年社史編纂室長が現地に出張して写真撮影して見せていただきました(8月10日日水本社会議室で)のでご報告まで 国司義彦
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Re:共同漁業(日水戸畑支社)ビルについて
事務所建物は昨年改修工事が完了したようで、そちらは私も確認しています。解体された建物は、事務所ではなく魚の水揚げなどに使用された荷揚げ設備・施設です。私の記述ニュアンスが悪かったようですね。
書き方のまずさでご迷惑をおかけいたしました。 >「共同漁業(日水戸畑支社)ビルは2005年に解体された」とありますが、2007年8月現在、健在とのこと。日本水産100年社史編纂室長が現地に出張して写真撮影して見せていただきました(8月10日日水本社会議室で)のでご報告まで 国司義彦 |