『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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6月10日、この日は東筑高等学校の創立記念日でもあるのですが、初稿を5月初めまでに何とか提出いただけたため、校正会議を設けることが出来ました。
原稿が揃い、出版の足音も近づいたこともあり、14名の参加とまあまあの人数が集まりました。実はこの前に出版入稿記念の合宿が行われ、そこでもいろいろと話題があったのですが、、、ま、こちらは後々話しましょう。
今回の集まりで話し合われた項目は以下の通りです。
1.今回配る初稿の校正
2.編集側で入れた「小見出し」のチェック
3.写真チェック及びキャプションの記述。
ただ、この初稿というのは写真が入っていないため、雰囲気と言ったものが何とも掴めず困りもので、また初稿で文章の練り直しを行うという(とんでもない)パターンの方もなかなか少なくないもんで、あまり議論と言ったところには結びつきませんでした。むしろ、基本的な文章構成に関する質問もまだ出る始末。
これは、、まだ長引くなー。と考える状態。11月出版に間に合うか、どうか。
原稿が揃い、出版の足音も近づいたこともあり、14名の参加とまあまあの人数が集まりました。実はこの前に出版入稿記念の合宿が行われ、そこでもいろいろと話題があったのですが、、、ま、こちらは後々話しましょう。
今回の集まりで話し合われた項目は以下の通りです。
1.今回配る初稿の校正
2.編集側で入れた「小見出し」のチェック
3.写真チェック及びキャプションの記述。
ただ、この初稿というのは写真が入っていないため、雰囲気と言ったものが何とも掴めず困りもので、また初稿で文章の練り直しを行うという(とんでもない)パターンの方もなかなか少なくないもんで、あまり議論と言ったところには結びつきませんでした。むしろ、基本的な文章構成に関する質問もまだ出る始末。
これは、、まだ長引くなー。と考える状態。11月出版に間に合うか、どうか。
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私が建築関係のNPO事務として所属する前、建築の大学院生(だったはず)時代にこの工場を見学しました、、、この言い方は適切ではないですね。工場自体は既に稼働を停めていて、白く塗られた6階建ての工場棟がまだあったとき、そのNPOの方に誘われて中を見学する機会に恵まれました。
またその内部というのが、実に「凄い」もので(この様子はいずれ掲載したかった~の方で記載します)、もう取り毀しが確定していただけに実に残念に思えたものでした。
現在見ることが出来る煉瓦造の倉庫棟は、取り毀しに辛うじて遭うことなく現在まで遺されている建物群です。ただし、例の福岡西方沖地震でいくらかのダメージを受けているところもあり、そこあたりちゃんと補修してくれるかどうか、、、若干不安です。
歴史的経緯については割愛(本買って読んでね)しますが、港湾施設とレンガ棟とのコントラストは実に美しいもので、これが小樽ならば、舞鶴ならば、、、と悔やまれる部分の多い佳作です。
またその内部というのが、実に「凄い」もので(この様子はいずれ掲載したかった~の方で記載します)、もう取り毀しが確定していただけに実に残念に思えたものでした。
現在見ることが出来る煉瓦造の倉庫棟は、取り毀しに辛うじて遭うことなく現在まで遺されている建物群です。ただし、例の福岡西方沖地震でいくらかのダメージを受けているところもあり、そこあたりちゃんと補修してくれるかどうか、、、若干不安です。
歴史的経緯については割愛(本買って読んでね)しますが、港湾施設とレンガ棟とのコントラストは実に美しいもので、これが小樽ならば、舞鶴ならば、、、と悔やまれる部分の多い佳作です。
この「掲載したかったもの」シリーズの中ではもっとも悔やまれる、もう少しで掲載が可能であったにもかかわらず、掲載できなかった痛恨の遺産群です。
ちょっとこの建物群に関する経緯について軽く紹介します。もともとは製鐵所の従業員住宅の不足に悩まされた雇用側(国ですね)と住宅誘致に乗り出した若松市との利害が一致して洞海湾を挟んだ若松側に作られた50棟100世帯用の集団住居群でした。
日本には数多くの住宅がつくられ、また社宅に代表されるデザインの統一した住居群も数あまたあります。しかし自分たちで自治意識を持ち「洞岡村」という名前まで使用して、さらに洞海湾を挟んだ製鐵所への通勤には専用の波止場まで設けて通っていたという事実はここを措いてそうないでしょう。何とも不思議な話です。
また保存状態もなかなかのもので、現在でも半分程度は当時の面影を遺す建物を見ることが出来ます。
さて、これについてですが、既に学会で研究発表されており、また編集側としても「どうしても(主に私が)」載せたかったため、ここを熱心に研究している先生にアポイントを取り、執筆の了承まで頂き、手はずは整っていた、筈でしたが、
原稿が、落ちました(号泣)。
今回無念の掲載見送りとなりました。K先生には、いずれ、何らかの形でここの話をまちづくり団体相手に発表して貰います。そうでもしないと、もったいなくて仕方ないのです。
ちょっとこの建物群に関する経緯について軽く紹介します。もともとは製鐵所の従業員住宅の不足に悩まされた雇用側(国ですね)と住宅誘致に乗り出した若松市との利害が一致して洞海湾を挟んだ若松側に作られた50棟100世帯用の集団住居群でした。
日本には数多くの住宅がつくられ、また社宅に代表されるデザインの統一した住居群も数あまたあります。しかし自分たちで自治意識を持ち「洞岡村」という名前まで使用して、さらに洞海湾を挟んだ製鐵所への通勤には専用の波止場まで設けて通っていたという事実はここを措いてそうないでしょう。何とも不思議な話です。
また保存状態もなかなかのもので、現在でも半分程度は当時の面影を遺す建物を見ることが出来ます。
さて、これについてですが、既に学会で研究発表されており、また編集側としても「どうしても(主に私が)」載せたかったため、ここを熱心に研究している先生にアポイントを取り、執筆の了承まで頂き、手はずは整っていた、筈でしたが、
原稿が、落ちました(号泣)。
今回無念の掲載見送りとなりました。K先生には、いずれ、何らかの形でここの話をまちづくり団体相手に発表して貰います。そうでもしないと、もったいなくて仕方ないのです。
最後の編集会議、、、というと区切りが良さそうですが、初校の前の会議といった方が(事務局的には)適切です。3月25日に九州国際大学にて行われました。
会議の前には「研究会」として行いたい産業映画の収集、その事前準備とも言うべき上映会として『この天の虹』(1958、松竹、木下恵介監督)を鑑賞しました。
全国ロードショーされたというこの映画。私にはとうてい信じられません。前半20分くらいは完全に製鐵所の宣伝です。また結構美化されているような気も致します。もっともこれは現代のエコライフで個人主義な考え方に基づくものかもしれません。いや、、それでもたかだか40年前に景観や考え方、地域の勢いまでも変わってしまった現状を見るに付け、複雑な感慨を覚えます。
さてこの後は九国大の坂本先生による「北九州の近代軍事遺産」に関する講義です。原稿提出ではなく講義、と言うところが腑に落ちないところではあるのですが、ま、仕方ないと言えばそうとも言えるわけで。
ここでの発表で現状の問題点としてあげられるところは、「小倉城遺跡では、軍事施設時代の遺物も出土しているが、通常廃棄され記録されることはない」という非公表の事実です。
情けない話です。こういう事を聞くに付け、だから行政は、、、と愚痴を言わずにいられません。
とはいえ、こちらのブログはあまりくどくど言わないスタンスで行きますので、事実のみここで採りあげます。
著者候補を集めた編集会議としては今回で終了、次回は「初稿の校正ですよ」とアナウンスしておきました。
ちゃんと出してくれることはもちろんですが、
「ちゃんとした文章を書いてくれること」
の方が一番怖かったりもします。何せ研究者という方々は、ルーズで勝手気ままが相場ですから(良心的な研究者の皆様、ごめんなさい。私の自戒でもあります)。
会議の前には「研究会」として行いたい産業映画の収集、その事前準備とも言うべき上映会として『この天の虹』(1958、松竹、木下恵介監督)を鑑賞しました。
全国ロードショーされたというこの映画。私にはとうてい信じられません。前半20分くらいは完全に製鐵所の宣伝です。また結構美化されているような気も致します。もっともこれは現代のエコライフで個人主義な考え方に基づくものかもしれません。いや、、それでもたかだか40年前に景観や考え方、地域の勢いまでも変わってしまった現状を見るに付け、複雑な感慨を覚えます。
さてこの後は九国大の坂本先生による「北九州の近代軍事遺産」に関する講義です。原稿提出ではなく講義、と言うところが腑に落ちないところではあるのですが、ま、仕方ないと言えばそうとも言えるわけで。
ここでの発表で現状の問題点としてあげられるところは、「小倉城遺跡では、軍事施設時代の遺物も出土しているが、通常廃棄され記録されることはない」という非公表の事実です。
情けない話です。こういう事を聞くに付け、だから行政は、、、と愚痴を言わずにいられません。
とはいえ、こちらのブログはあまりくどくど言わないスタンスで行きますので、事実のみここで採りあげます。
著者候補を集めた編集会議としては今回で終了、次回は「初稿の校正ですよ」とアナウンスしておきました。
ちゃんと出してくれることはもちろんですが、
「ちゃんとした文章を書いてくれること」
の方が一番怖かったりもします。何せ研究者という方々は、ルーズで勝手気ままが相場ですから(良心的な研究者の皆様、ごめんなさい。私の自戒でもあります)。
編集担当の私として、今回の中で一番美しい近代化遺産の風景を選べと言われると、さんざん悩んだあげくこの一枚を選ぶでしょう。河内の堰堤は確かに美しいのですけど、あちらは静的空間の美を追求したものですし、西日本工業倶楽部のそれも、蝋燭の火に照らされていればまたひと味変わった美しさもあるのでしょうが、、まだ見たことがないので、こちらですね。
工場内の写真の美しさには洋館の美意識とは異なるものがあり、その中のひとつに機械がうなりを上げて製品を作る様に代表される、「動的空間」の美しさがあると思います。ただし、これはなかなか一般の方にとり見ることが出来ないものです。では、何を以て形容するべきか。私は水道施設の生産物である水が織りなす芸術性にそれを見いだしたいと思います。
この構造物は「余水吐」と言いまして、ダムに水が溜まりすぎて堰堤から水が溢れるのを防ぐ為作られたものです。階段状になっているのは水質改善の曝気と緩速を目的にしたものと考えられます。
工場内の写真の美しさには洋館の美意識とは異なるものがあり、その中のひとつに機械がうなりを上げて製品を作る様に代表される、「動的空間」の美しさがあると思います。ただし、これはなかなか一般の方にとり見ることが出来ないものです。では、何を以て形容するべきか。私は水道施設の生産物である水が織りなす芸術性にそれを見いだしたいと思います。
この構造物は「余水吐」と言いまして、ダムに水が溜まりすぎて堰堤から水が溢れるのを防ぐ為作られたものです。階段状になっているのは水質改善の曝気と緩速を目的にしたものと考えられます。