『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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はい、できました。一般書店には盆が終わってから出てくるそうです。
今回配られたものは、今回の出版企画団体である「筑豊近代遺産研究会」の寄贈分他先行して出来たものを優先していただきました。弦書房に感謝申し上げます。
さて、、、一読した感想ですが。
1.産業別分類法は評価が分かれそう。
筑豊の一体感を出そうという試みが十分過ぎるくらい分かる分類法です。実は、『福岡の近代化遺産』でもこれを行おう、という話が少し出たことがあります。
でも、訪れる人にとって見れば、地域別分類の方が分かりやすそうな気がします(『福岡』で採用しなかったのは、これが原因)。この不満に対する解決点は、後ろの部分に新たに設けられた「筑豊の近代化遺産めぐり」が解決してくれるものと確信します。
2.碑文は『近代化遺産』か否か?
私が前二企画を通じ断固拒否し続けた「最近出来た碑文を掲載」が、今回成されたことは個人的に至極残念です。これが受け入れられると、個別項目に記載されているものがはたして近代のものなのか(個別項目でも新しいものと古いものが今回は混交しており、こちらも評価が分かれます。現地を見るしかないという項目が多いのです、、、)、現地でよすがを辿れるのか否か、さっぱり分からなくなるからです。最近出来た碑文を載せるのであれば、鉱害復旧碑はどう扱えばいいのか? 市町村教育委員会が設置した看板はどうするのか? 判断は限りなく難しくなります。
別に厳密に「近代」でないものでも(たとえば、昭和40年代に作られた炭鉱関連構造物)、載せる価値は十分あると思いますし、お菓子や炭鉱絵画の掲載には、エールを送りたいと思います。少なくとも、個人的にこういった部分は今企画の個性であり、長所であると考えます。でも、いや、だからこそ、最近作られた碑文の掲載には、疑問符を掲げざるを得ないのです、、、。
このことは、あるいは筑豊に実際の遺物が少なくなっていることを表しているのかも知れません。そう思うと、何とも言いようがない、複雑な話です。
3.「大物物件掘り起こし」はほぼ成功?
直方石炭記念館の「救護隊練習坑道」、勾金駅近くの「中津原橋梁」(下駄っ歯三連橋梁)、柚須原駅と採銅所駅、住友忠隈炭鉱会館、讃井小児科医院と江浦耳鼻科医院など、私も絶賛推薦するいくつかの施設が採りあげられたことは良かったかな、と思います。
ただ、一覧を見るともう少し炭鉱施設が遺っているので、そちらに重点を置いて執筆項目を決めても良いのかな、と思うことも若干ありました。しかし現在ある遺構群の殆どは個人所有になっているものが多いでしょうし、執筆に際してハードルがあることは間違いないとは思います(残念かと言われれば、残念。実際の炭鉱住宅を載せて欲しかったという願望はあった)。
蔵内次郎作像台座と三菱方城炭鉱繰込浴場、香春岳の火薬庫は知りませんでした。ここあたりの情報認知は出版企画で多くの方々が参加するからこそ、の話ですね。
4.一覧が見づらくて、残念。
前二企画で私が一番こだわって作成した(福岡では丸々一年の調査、北九州は足かけ4年、、、晴れの日も雨も日も踏査踏査、登記簿まで調べて構造体を調査したことは、もう阿呆のたぐいです)部分ですので、単純比較すると、誰かがそれ相応な犠牲を受けることになるため、あまり強くは言えませんが。
福岡の近代化遺産企画の際、一覧を読まれて一番指摘を受けたのは、朝倉地域の一覧物件の少なさでした。これは、私自身がその地域に殆ど足を運べなかったので、やむなしの部分だったかと思います。そこと比較すると、今企画は地元の方々が多く参加されているはずですから、アラは少ないとは思うのですが、一読して、あれ「コモダ薬局」とその近くにあった消防団詰所壊されたの? とか、『飯塚市近代遺跡調査報告』でたくさん記されている道路橋は全て無くなったの? とか行った疑問が残りました。私個人の予測では、筑豊地域には交通インフラ施設を中心にして400~500件の近代化遺産があると考えておりましたので、今回の一覧に若干の不満があることは否めません。
これをたたき台にして、各自がそれぞれの「筑豊近代化遺産一覧」を作成しろと言うことなのかもしれませんね、、、また宿題が増えました。
それはともかくとして、一番の問題が。一覧の掲載順序が分からないこと。見づらい! たとえ産業別を優先したとしても、そのなかでもちゃんと五十音順にすべきだったと思います。あと物件名に「蒸気機関車」と列記されると、備考欄見ない限りどれがどれやら分かりません。
前記した未掲載重要遺産などを指摘する連絡先及び記名がないのは、やはり気に掛かります。一覧リストを「成長」させる為には、出版後の投稿情報が非常に重要なのに、、、連絡先の明記は主張したいところです。
、、、とまあ、かなり辛く評価しましたが、一読の価値は十分あるのではないでしょうか。一覧内には、個人的な不満点もあるものの、皆様が知らない遺構も数多いかと思います。是非是非お手にとって、それぞれに筑豊を訪れてみてください。
(2008.08.19大幅加筆修正済)
今回配られたものは、今回の出版企画団体である「筑豊近代遺産研究会」の寄贈分他先行して出来たものを優先していただきました。弦書房に感謝申し上げます。
さて、、、一読した感想ですが。
1.産業別分類法は評価が分かれそう。
筑豊の一体感を出そうという試みが十分過ぎるくらい分かる分類法です。実は、『福岡の近代化遺産』でもこれを行おう、という話が少し出たことがあります。
でも、訪れる人にとって見れば、地域別分類の方が分かりやすそうな気がします(『福岡』で採用しなかったのは、これが原因)。この不満に対する解決点は、後ろの部分に新たに設けられた「筑豊の近代化遺産めぐり」が解決してくれるものと確信します。
2.碑文は『近代化遺産』か否か?
私が前二企画を通じ断固拒否し続けた「最近出来た碑文を掲載」が、今回成されたことは個人的に至極残念です。これが受け入れられると、個別項目に記載されているものがはたして近代のものなのか(個別項目でも新しいものと古いものが今回は混交しており、こちらも評価が分かれます。現地を見るしかないという項目が多いのです、、、)、現地でよすがを辿れるのか否か、さっぱり分からなくなるからです。最近出来た碑文を載せるのであれば、鉱害復旧碑はどう扱えばいいのか? 市町村教育委員会が設置した看板はどうするのか? 判断は限りなく難しくなります。
別に厳密に「近代」でないものでも(たとえば、昭和40年代に作られた炭鉱関連構造物)、載せる価値は十分あると思いますし、お菓子や炭鉱絵画の掲載には、エールを送りたいと思います。少なくとも、個人的にこういった部分は今企画の個性であり、長所であると考えます。でも、いや、だからこそ、最近作られた碑文の掲載には、疑問符を掲げざるを得ないのです、、、。
このことは、あるいは筑豊に実際の遺物が少なくなっていることを表しているのかも知れません。そう思うと、何とも言いようがない、複雑な話です。
3.「大物物件掘り起こし」はほぼ成功?
直方石炭記念館の「救護隊練習坑道」、勾金駅近くの「中津原橋梁」(下駄っ歯三連橋梁)、柚須原駅と採銅所駅、住友忠隈炭鉱会館、讃井小児科医院と江浦耳鼻科医院など、私も絶賛推薦するいくつかの施設が採りあげられたことは良かったかな、と思います。
ただ、一覧を見るともう少し炭鉱施設が遺っているので、そちらに重点を置いて執筆項目を決めても良いのかな、と思うことも若干ありました。しかし現在ある遺構群の殆どは個人所有になっているものが多いでしょうし、執筆に際してハードルがあることは間違いないとは思います(残念かと言われれば、残念。実際の炭鉱住宅を載せて欲しかったという願望はあった)。
蔵内次郎作像台座と三菱方城炭鉱繰込浴場、香春岳の火薬庫は知りませんでした。ここあたりの情報認知は出版企画で多くの方々が参加するからこそ、の話ですね。
4.一覧が見づらくて、残念。
前二企画で私が一番こだわって作成した(福岡では丸々一年の調査、北九州は足かけ4年、、、晴れの日も雨も日も踏査踏査、登記簿まで調べて構造体を調査したことは、もう阿呆のたぐいです)部分ですので、単純比較すると、誰かがそれ相応な犠牲を受けることになるため、あまり強くは言えませんが。
福岡の近代化遺産企画の際、一覧を読まれて一番指摘を受けたのは、朝倉地域の一覧物件の少なさでした。これは、私自身がその地域に殆ど足を運べなかったので、やむなしの部分だったかと思います。そこと比較すると、今企画は地元の方々が多く参加されているはずですから、アラは少ないとは思うのですが、一読して、あれ「コモダ薬局」とその近くにあった消防団詰所壊されたの? とか、『飯塚市近代遺跡調査報告』でたくさん記されている道路橋は全て無くなったの? とか行った疑問が残りました。私個人の予測では、筑豊地域には交通インフラ施設を中心にして400~500件の近代化遺産があると考えておりましたので、今回の一覧に若干の不満があることは否めません。
これをたたき台にして、各自がそれぞれの「筑豊近代化遺産一覧」を作成しろと言うことなのかもしれませんね、、、また宿題が増えました。
それはともかくとして、一番の問題が。一覧の掲載順序が分からないこと。見づらい! たとえ産業別を優先したとしても、そのなかでもちゃんと五十音順にすべきだったと思います。あと物件名に「蒸気機関車」と列記されると、備考欄見ない限りどれがどれやら分かりません。
前記した未掲載重要遺産などを指摘する連絡先及び記名がないのは、やはり気に掛かります。一覧リストを「成長」させる為には、出版後の投稿情報が非常に重要なのに、、、連絡先の明記は主張したいところです。
、、、とまあ、かなり辛く評価しましたが、一読の価値は十分あるのではないでしょうか。一覧内には、個人的な不満点もあるものの、皆様が知らない遺構も数多いかと思います。是非是非お手にとって、それぞれに筑豊を訪れてみてください。
(2008.08.19大幅加筆修正済)
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COMMENT
もちろん購入予定です
2008/08/15(Fri)00:52:23
筑豊にはあまり馴染みがないだけに、どういう物件があるのか楽しみです。
最近門司へ行く途中に飯塚や直方を通るので、ちょっと寄り道してみようかなぁとか思ってます。 |
Re:もちろん購入予定です
>筑豊にはあまり馴染みがないだけに、どういう物件があるのか楽しみです。
石炭構造物に関しては、若干詳細項目で物足りなさを覚えるかも知れませんが、一覧でカバーできているのかな、、と思います。 内容物を見る限りは、マイナスイメージを持たれがちな遺産を紹介するのは難しいな、、、という感想を持ちました。この企画が実を結んだこと自体が奇跡的と言えます。 |
大君鉱業所斜坑について
2008/08/30(Sat)12:11:02
私も形状からも坑口跡と思っていたところ、以前遠賀町の職員の方から「何かの炭鉱施設ではあるが、坑口ではない」と説明をうけ、釈然としない気持ちでいました。(聞き間違い・勘違いかもしれませんが) やはり坑口跡ということで間違いないのでしょうか。 不躾な質問で申し訳ありません。 |
Re:大君鉱業所斜坑について
コメントありがとうございます。
>以前遠賀町の職員の方から「何かの炭鉱施設ではあるが、坑口ではない」と説明をうけ、釈然としない気持ちでいました。 遠賀の学芸員の方ですか、、、いったい誰だろう? 私は日本炭礦OBの方々から「大君坑の坑口だ」という証言を得たため、自信を持って掲載しております。坑口でないとなると、あの形状であれば、通気口(形状が大きすぎるので、違うと思います)か何らかの格納施設(角度がおかしいのですが、、)と推量できるのですが、どちらも納得がいきません。 この場合、いったん遠賀町の学芸員さんと話をするのが一番だと思います。面識はあるとはおもうのですが、、、。まあ、酒片手に膝寄せて話してみないと、真意は分かりませんね。 |
ご教示ありがとうございました
2008/09/01(Mon)19:32:30
私の方に、誤解があったのかもしれません。
昨日はこの本片手に何度も探索した三菱新入鉱跡に出掛け、新情報で六坑の小さな巻座を見つけることができました。 |
そんなたいしたことはしてません、、、
あの回答で大丈夫だったでしょうか? もし遠賀町の学芸員さんが6日のシンポジウムに出席されるようでしたら、伺ってみようと思います。
>昨日はこの本片手に何度も探索した三菱新入鉱跡に出掛け、新情報で六坑の小さな巻座を見つけることができました。 そういったものがあることは伺っていました。今回の一覧は私の作成ではないので、一覧作成段階でどこまで情報収集が行われているのか、正直申し上げると分かりません。 そういった意味で、ゴン太さんのサイトにある小舟鉱業所とか麻生吉隈とか、『筑豊』の一覧に載っていないものでも、地元にとっては既に既知のものかもしれません。う~む、難しいんですよね、、、。 |