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プロフィール
HN:
庵田
性別:
男性
職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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matsumototei-s.JPGこの顔にぴんと来たら110番、、じゃなくて。
この写真もまた本の中では一切紹介されていないものです。でも、買っていただいた皆様(初版本に限定されますが)および新聞広告をご覧になった皆様は、目にしているかと思います。
これ、宣伝用に用意した(撮りだめ写真フォルダの中からとりだした)写真なのです。西日本工業倶楽部=旧松本邸住宅は、地方都市の中でも有数の本格的な洋館として知られ、国の重要文化財に指定されています。
はっきり言ってしまうと、ここの写真はどこを撮っても画になるため、何を使っても良かったのですが、私はこのランプのついた暖かみのある一枚がどうしても気に入っているため、一枚に選びました。
宣伝などで用いられている際には、下部分の絵にならないノイズを削除してあります。オリジナルだからと言ってありがたがる要素はここにはないですね(苦笑)。
建物の説明はいつものように、本を読んでのお楽しみ、でお願いいたします。
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ブログ紹介の後で、続々と紹介記事が投稿されました。催促(笑)もあったので、いろいろな所にトラックバックを貼りつつ各ブログについて紹介いたしたいと思います。

http://www.jmam.net/blog/diary.cgi?mode=trackback&no=941
(前村記念博物館ブログより)
当方本サイト(地域文化博物館・高炉館)よりリンクを張らせていただいています。古くより学術的な立場で近代建築の紹介を行っています。
単なる本の画像とリンクによる記事ですが、ここに紹介されていることが私にとっての評価基準になっています。

http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=311845
(九州ヘリテージ 雑記帳より)
熊本より書評が届きました。こちらのゴン太さんが感想で述べているように、この書籍は北九州の個人旅行紹介のような形になれれば良いと思い作った意図もございます。
皆様の手元に渡った今となると、少しでも興味のある本になることを祈るばかりです。

http://dase-ball.jugem.jp/?day=20061206
(dase_ball clubより)
ALL-Aさんのブログと同一の感覚で興味深く拝見させていただきました。本の紹介として、当方が採りあげていない「若戸大橋」を選ぶところに、著者のこの企画を理解しなおかつ表現するところを余すことなく伝えていることに心より感謝申し上げます。
むしろ、次の企画に参画していただきたいくらいで(苦笑)。

こんな形でネタに困ったとき(これまた苦笑)には、ブログの紹介を致したいと思います。皆様、心よりのご協力をお願いいたします。
pomp-wakamatsu-s.JPG私の性分と言いますか、他人をねじ伏せるような完璧な論文よりも、どこか和ませたり、楽しませたりするコラム的文章の方が好きだったりします。そんなものであまり出世するタイプではないのかもしれません(苦笑)。
さて、そんな私ですから、今回の書籍であまり遊び的な要素がないことには、少々不満を持っていました。旧五市のマンホール写真掲載を提案したり、実際のコラムコーナーも当初の予定では考えていたのですが、なんだかんだのごたごたで見送りとなってしまいました。
それでも掲載したかったもの、として私は「手押しポンプ」を推したいと思います。

若松本町商店街沿いの各所に存在したポンプですが、アーケードの設置に伴い順次撤去。現在は商店街とその周辺部に数カ所のみが遺されています。もともとの用途は「防火用水」。これは戦時中の若松で空襲激化に伴って安全のためつくられた、立派な軍事遺産です。
文化財を考える上で、私たちはどうしても見た目の派手さや中央の歴史から考えた重要性ばかりをもてはやしますが、本当はこのような身近な遺産がもたらした「家族の安全」の方が重要なのだと思い知らされます。今でも当然ポンプからは水が出てきます。人々の幸せを見守ってきた重要な遺産です。
P1190047-s.JPG建物についての思い出は尽きませんが、区切りの意味を込めて今回でいったん話をまとめましょう。
医院としての営業を終え、現在建物は改装、再活用に向け少しずつではありますが、動き出しています。木造建築の本格的な利活用については、法律的な部分も含めなかなか難しいところか数多く、触れづらいところでもあります。
それでもこの建物が小倉の地に長くある意味、「自らの来し方を振り返りこれから歩く道を鑑みる」ことは、長らく日本人が忘れてしまっている、自分たちが自分たちであることの理由を問いかけ直すことに寄与するのではないかと、私は勝手に考えています。
ご覧になっている写真は、現在の「旧岡田医院」です。建物の屋根を葺き替えて、今後は外装の整備に取り組む予定になっています。
okada-munafuda-s.JPGさて、本邦初公開(Web上では、の話ですが)、岡田医院から発見された棟札です。
NPOでの調査ではまずは実測図の作成(取り毀される可能性もあったため)と現状調査とが平行して行われました。
そのときの「屋上の点検」での出来事を中心に話を致します。
8月の盆休み、暑くて暑くてとてもやってられない時期に、これまた条件としては最悪な屋上調査を志願して臨みました。
その頃はまだ図面記録調査の手順になれておらず、画板での記録に向いていないこともあったためなるべく足手まといにならないよう配役を変わって貰った、とも言えるわけですが(苦笑)。
そのときの屋上の状態というものがまた凄いもので、ホコリが平均50mmくらい積もっているような酷い状況でした。幸い梁はしっかりしていたので、それを渡りながら当時の大工仕事の記録調査を進めます。墨書きによる梁の通し番号(イロハと一二三四の漢数字で縦軸と横軸とを表記していた)の確認を進めながら、妙に天井に木切れが多いことに気付き始めます。
どうも屋上に何か小屋のようなものがあった事だけは確認できたのですが、それと同時に建物棟上げ当時の記録を記した「棟札」が無いことにも気付きます。そんなさなか、私は妙な木ぎれを発見します。
一方が三角状に加工され、しかし人の背丈ほどの長さを持ち幅も広くあります。
建設業者でもある会員のひとりに「これなんでしょうね」、と尋ねると「と渡り板じゃないの」との返事。それでもどうしても気になり裏面を覗いたところ、なんと、小倉警察署改築~、と書いてあるではないですか!
「出た! 警察署だ!」と思わず叫んでしまいました。 これを聞いた某会員は違法駐車をとがめられたと思わず外に出たとのこと(笑)。

この成果は、建物についての新事実を明らかにするとともに、今まで各書籍でこの建物を昭和12年の竣工と書いていたことと照らし合わせ、私の心に既存物件の行っていることは必ずしも真実とは言えないという、疑問を持つ研究精神をも身につけさせて結果とも結びつきました。今の私の研究姿勢の原点がここにあったわけです。
NPOでの通り名称(私が呼んでいるだけの話かも)は「と渡り板」。この時の発見状況からとられたことはいうまでもありません。
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