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庵田
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職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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昨10月20日は明治3年のこの日に工部省が設置されたことにちなんで、「近代化遺産の日」と呼ばれています。
この日を前後して近代化遺産の全国一斉公開が行われていますが、今年私はどこにも行けませんでした。理由はお察しください(笑)。
この日にあやかって、かどうかは分かりませんが、『北九州の近代化遺産』の宣伝用チラシが私の手元に届きました。チラシの表紙には河内貯水池堰堤と九州工業大学にあるバックトン引張試験器の写真が載せられています。ここで編集担当のこだわりを感じくれるあなたは、是非もなしに買ってくださると信じています。

さっそく九州大学の一部研究室及び福岡県立図書館郷土資料室にチラシを置きました。今後チラシの設置場所は市内各所にどんどん広まる予定です。

、、、、以上、完全な閑話休題の宣伝でした。
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さて、今回は完全に宣伝文です。
2005年5月段階での構成案が見つかりましたので、そちらを参照しながら実際の本の内容を紹介したいと思います。

>【構成】
>  1.北九州地域の産業経済史(概説)
これがこの本の売りになるのか、アキレス腱になるのか、、、
大学講義の様なパターンで北九州工業地帯の成立について概説しています。
巻頭に置くと「重い」ので、結果的には巻末に載せました。

>  2.地域別・近代化遺産
>   (1)建築・土木的価値 (設計者、建築工事)
>   (2)産業経済・文化的意義 住民生活との関わり
>   (3)建設時、盛時など関連文献・資料(新聞記事など)
>   (4)建設時、盛時、現状の写真
この部分に関しては、ほぼまんべんなく掲載できていると思います。
既存の本で紹介している物件は、特に2の部分を強調しないと面白くないですしね。
一部記事の出来が微妙だと思う方は、まあ、ご主旨が理解できなかったかと(笑)、、、
ってのは冗談です。まあ、たとえそうだったとしても事務局である程度修正したので、はい。

> 3.遺産リスト一覧(地図)、文献・資料目録、索引
地図の初校を先週やったばかりですが、、、(汗)
文献目録は危うく削除されそうになったのですが、代わりのものを犠牲にして(それが何かは発売後に明らかに、、)、なんとか残りました。
索引は、、、、ごめんなさい(土下座)。

>【担当】
> 九州産業考古学会北九州メンバーとCOSMOSを中心に、若干の専門家を加える。
> COSMOS;建築・土木的価値 産業部門別分野担当を基本とする。
> 遺産リストから、解説を要する主要なものを選出する。
一次リストの作成が(も?)私の担当だったのですが、ちょいと欲張ったりしたものですから、直前まで差し替えやったりと、まあ無意味に大変でした。
お手元に届いたときに別角度でお楽しみ頂ければ、、。
三回目の『北九州の近代化遺産(仮)』編集会議は12人の参加で、2005年8月20日に行われました。
今回は新日鐵OBにして、製鐵所研究の隠れた有力研究人、菅さんによって市内の各種近代化遺産について説明が行われました。
菅さんは建築雑誌『建築ジャーナル』九州版において、「21世紀に残したい北九州の建築100」選と題した建物紹介をなされており、従来の建築冊子と異なった視点で記された内容は、連載当時私もかなり注目したものです。

その後の会議では、大枠として「遺されているものを中心にまとめる」という方針を明らかにしましたが、何か遺っていないと書かないというのもどうか、と言う意見がありました。
ただ、遺されているものを以て考えていくのがまちづくりではないか、という姿勢もあったため、何か部材でも遺っていれば掲載、との見解でまとまりました。
その基準に立って、現在60件の詳細掲載リストが出来上がったというわけです。
meidiyamoji-s.JPG2005年6月頃、清水先生宅で打合せをしました。
「まずこれだけは載せたいリスト」を作るためです。
それ以前に私の方で掲載したい予備候補を選定したときのこと。
門司区エリア内では以下のような順番で候補を出していきました。
・門司港駅
・NTT門司営業所
・大阪商船
・門司税関と並び、次にリストで上がったのが
「明治屋」です。

ジャムの明治屋とか、高級洋物の店という印象で語られますが、この建物は北九州の近代化を語る上では不可欠の施設でした。
西洋から移入されたものは建築や土木という表面上の技術だけでなく、服装、美術、行政体系や用語に到るまで様々な分野でそれまでの中世日本人の生活に大きな影響を与えましたが、食文化はその最たるものでした。
例えば首都圏であれば、横浜あたりの外国人居住地から洋物を手に入れることが出来ます。そこでの生活を基本としているお雇い外国人が製鉄所開設当時の北九州にやってきました。さて、洋服は、洋食はどこで手に入れられるのでしょうか?
ここでのニーズを賄うために、わざわざ進出せざるを得なかったもの、それが明治屋だったのです。これがあると無いとでは、都市の格が違うのです!

建物は総煉瓦造の2階建、ファサードは戦災で被害を受けたため、モルタルで塗り固められてしまいました。ここで見映えが悪くなったことが解体の原因だったのでは、と言われています。
掲載できなかったことが一番残念な建物です。これがあると無いとでは、物語の幅が違うのです。しつこいようですが、とにかく残念です。
nissui-s.JPGニッスイとマルハの発祥の地はご存じの通り下関です。そのうちマルハ←太洋漁業←林兼産業は下関から東京へと進出していきましたが、ニッスイ←共同漁業←田村汽船は業務拡大のために一度北九州・戸畑に本拠を移し、遠洋漁業の生産から加工、従業員教育までに到る一大拠点を築き上げました。
近年まで昭和初期の漁業基地工場施設が遺っており、それをメインに紹介したいな、と思っていたのですが、2005年初めにあえなく解体撤去。本の中では写真に紹介している事務所とこの裏側に作られた煉瓦造倉庫を掲載しています。

ニッスイの企業的要因もあるのですが、この建物は駅側から背を向け、港に立ち向かうかのように建てられています。発展貢献者の国司浩助の海洋を以て食糧の安定供給を図るという主旨の理念は、現在でもニッスイのハム・ソーセージやニチレイの冷凍食品と言った形で家庭の食卓に運ばれています。
これは余談ですが、田村市郎(田村汽船創業者)-国司浩助-鮎川義介(日立金属・日産自動車創業者)はお互いが親戚筋に当たるため、戸畑移転はこの親戚筋による影響があったと考えられます。
もしくは、関門海峡を挟み、海からの視点で見れば下関と戸畑は隣も同然と言うことでしょうか。
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