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プロフィール
HN:
庵田
性別:
男性
職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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tunnel-kinbe-s.JPG現在は大部分がJR日田彦山線となっている旧小倉鉄道のトンネルです。この物件、存在は知っていました。ただ、市の西の端からは、通いづらかったり、通いづらかったり(笑)。
あと、詳しい位置も微妙に判っていなかったため、今回の出版企画まで撮影を放っておいた物件でした。

が、こちらの物件を(主に清水先生が)是非とも紹介したいと言うことで、執筆者を鉄道関係の人に依頼、すると、
「ここは私行ったことがないので、写真持っていません」
ん、ん~ん? 私と一緒?
この場合、誰が写真を用意するのか。そう、それは事務局。
結局私が写真を撮りに行く羽目になりましたとさ。めでたしめでたし。
めでたくないっ!

もしここの項目で私が文章を書くとしたら、現存する初期の駅舎の存在ははっきり書いておきたかったですね。
山の向こう側にあったの香春駅(小倉鉄道上香春駅舎)こそ、不審火で焼失いたしましたが、今でも採銅所駅、北九州側では石原町駅が小倉鉄道開業当初の姿を保ち続けています。
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nittan-s.JPG掲載したかった、というよりも今までの私の経歴を考えて、是が非ででも掲載しなければならなかったんじゃ? と今でも後悔してしまう項目です。

後悔する理由1.北九州の若松-水巻に炭鉱があったという事実を知る人が少なくなったこと。
知り合い10人(知識的にそれなりに濃い人間)に聞いても半分知っているかどうか、、、つまり、私の同年代では10人中1人くらいのレベルでは無かろうか?
そんな重要な物件外してどうするんだろう?
(本当はある個人邸を軸にして掲載しようと思ったんですよ、、、許可が下りなかっただけで(泣))

理由2.清水先生と知り合う縁のひとつになったこと。
私がたまたまこの炭鉱の研究論文を書いていたため、このことが後に先生との繋がりを持つ理由となりました。もちろん、そのときの自分はまさか本の出版に関わるとは思いもしない時期でして。
人間、何がどうなるか分からないものです。

理由3.私の卒業論文は、日本炭鉱の産業遺産研究であったこと。
ごめんなさい、ごめんなさい(関係者に謝)。
書こうと思ったんですよ? それが某個人宅は掲載断られるし、写真にある水巻町の事務所は取り毀されるし、跡地めぼしい痕跡はあるにはあるものの、単独項目にするには、、、という物件だし。
物事タイミング、ですかねぇ。日本炭鉱よりも、小倉造兵廠よりも、関門鉄道トンネルに重点を置いてしまった事が一番の理由かもしれません。

、、、相当悔しくなって来ました。年末記念に一度「もし日本炭鉱が『北九州の近代化遺産』項目に載っていた場合」のブログ初公開記事を書いてみたいと思います。
近代化遺産を語るときに一番言ってはならない言葉は、「専門外だからよく分かりません」だと思います。
確かに専門外の分野で的はずれなことを言う可能性はあります。それはしかし、私たち自身が「専門」と称している学問……建築・土木・機械の中でも常にあることではないかと考えます。
例えば私の場合、建築・都市計画(近代建築史、イノベーション)と称することは出来ます。でもそれは20世紀の学問カテゴリーの中で限りなく細分化された、細切れの針穴のような専門でしかありません。おなじ建築でも、施工技術のことははっきり言えませんし、材料についてもしかり。
21世紀の情報化・細分化時代の学問は、20世紀の学問と同じように述べられてはいけないのではないか、という前提において、私の専門は「産業考古学」であると対外的には称しています(でも理解されません)。

理解されない理由ははっきりしておりまして、知名度と「考古学」という言葉にあります。
産業考古学内での「考古学」は、考古学的手法(対象物そのものを調べることによって事象を明らかにする)を用いる事を表しており、一般的な発掘を伴う作業ではありません。
おおよそ学問というものは、研究対象を示す言葉を持って表されており、「建築学」、「土木学」という言葉は建築学的手法、ではなく建築という研究対象を表しています。
ならば、本当は「近代化遺産」「産業遺産」を研究する私は、近代化遺産学を専攻しています、と言わなければならないのかもしれません。しかし、現実そのような学問は存在しません。学会もなく、研究誌もありません。
研究手法を名称に掲げるこの学問、産業考古学に問題がある、と言うつもりはありません。が、研究専攻者を増やすためには、明快な名称を用いることも考えなければならないだろうか、と思ったのが今日の表題です。

難しい問題なので、興味のある人だけ読んでください(文末に言うなよ!)。
buckton-s.JPG機械遺産というものは、非常に高い専門性が要されるため、建築のようにひとりの人間がいくつもの物件を紹介することは非常に難しいですが、今回産業考古学という枠組みの中で機械分野の専攻と知り合うことが出来、書籍の中で紹介することが出来ました(私が文章を書かずに済んだ、という方が正しいかも)。
北九州市は他地域に比べ機械遺産に関する関心が(比較的)高い方で、いくつかの報告書が出されています。問題があるとすれば、その報告書の存在が明らかになっていないだけで、、、あ、いや、これは最大の問題ではないか!

現在の九州工業大学には、かつての旧制専門学校時代の機械遺産がこのように屋外展示されています。大学の正門には「用件のない方の進入を禁じる」なんてこと書いていますが、ぜひとも「機械遺産を見る用件で」訪れてみてください。
紹介件数が多いので、2日に分けて紹介いたします。
いや、日数稼ぎの誤魔化しじゃあ、ないデスヨ?(目線を逸らす)

http://okuruma.exblog.jp/4398368
(幌馬車2台の道楽日記より)
お褒めいただきありがとうございます。詳細紹介の物件100件ありましたっけ?
、、、っと、そういう問題ではなく。
okurumaさんは近代建築繋がりで東京に行く際はいつもお世話になっています。
運営サイト洋館探訪は、拙サイト「近代化産業遺産総合リスト」コーナーのモデルとさせていただきました。

http://d.hatena.ne.jp/zone1969jp/20061130
(thinking on the borderlandより)
こちらは書籍の紹介画像です。記事を書いていただかなくても、 画像で紹介していただいたことに感謝申し上げます。
それにしてもアマゾンさん、、、地方出版に対して厳しすぎませんか? ビーケーワンでは画像付きで紹介されているのに、、。

http://d.hatena.ne.jp/seamoon-hyper/20061217
 (seamoon:HYPERより)
発行に到る風潮と感想を述べていただいたブログ。
「繁栄の記憶でもあったこれらの建物をいとおしく思う気持ち」
を大事にしたいと思い、発行の動機となったことは、ここでも述べて、、、無かったかなぁ。
掲載自粛物件は主に個人宅です。全体から考えて、20%程度削除した事になります。結果予期せず320件ときりの良い数字となっていました。
こちらで紹介されている「北九州の戦争遺跡」も個人的にはお勧めです(研究に寄りすぎかな?)。

、、さて、ここで総ざらえしたので、当分はブログ紹介もないかなぁ、、、嬉しいような、困ったような。
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