『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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西鉄といえば、九州唯一の大手私鉄会社としてある程度の知名度を得ていますが、その代表的路線である天神大牟田線と比較すると、こちら貝塚線はいささかのどかな雰囲気を留めています。
そんな中で、かつての鉄道の重要性を伝える施設がこの橋梁。昔祖父がこのあたりで川遊びをしたと聞いていますが、平成の現在、私はJRの橋梁下でこんな写真を撮っていたりしています。
この写真、朝日新聞にこちらの遺産が紹介された際、「同じようなアングルで」と出版社の編集長に懇願され、さんざん困ったあげくアングルを見つけて撮った一枚です。電車が来るまで、おおかた20分近く待ったでしょうか。まだかまだか、と他のところを撮る都合で時間配分を考えながら、いらいらしたことを覚えています。
真上をJRの特急が通過する瞬間は、いささか冷や冷やものです。同じ体験がしたい方、別途ご連絡ください。場所お知らせします。
そんな中で、かつての鉄道の重要性を伝える施設がこの橋梁。昔祖父がこのあたりで川遊びをしたと聞いていますが、平成の現在、私はJRの橋梁下でこんな写真を撮っていたりしています。
この写真、朝日新聞にこちらの遺産が紹介された際、「同じようなアングルで」と出版社の編集長に懇願され、さんざん困ったあげくアングルを見つけて撮った一枚です。電車が来るまで、おおかた20分近く待ったでしょうか。まだかまだか、と他のところを撮る都合で時間配分を考えながら、いらいらしたことを覚えています。
真上をJRの特急が通過する瞬間は、いささか冷や冷やものです。同じ体験がしたい方、別途ご連絡ください。場所お知らせします。
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『福岡の近代化遺産』が本格的に書店に並び始めてから、ほぼ一ヶ月が経ちました。
私が把握している限り、毎日新聞(1/19)、読売新聞(2/1)、日本経済新聞九州版(2/2)などで紹介記事が掲載されたようです。
正直、『北九州の近代化遺産』より注目されているように思えるのですが、その割に売れているという噂を耳にしないのが、何とも不思議な感じがします。
前回の場合、たとえば小倉のQUESTでノンフィクション系売り上げベスト5(3位まで入っていたという話がある)だったとか、そういった細々とした情報が入っていたのですが、今回はそういったものがありません。
何か、皆様の方で情報をお持ちでしたら、返信お願い申し上げます。
ということで、今回は簡単な話で終わりです。
私が把握している限り、毎日新聞(1/19)、読売新聞(2/1)、日本経済新聞九州版(2/2)などで紹介記事が掲載されたようです。
正直、『北九州の近代化遺産』より注目されているように思えるのですが、その割に売れているという噂を耳にしないのが、何とも不思議な感じがします。
前回の場合、たとえば小倉のQUESTでノンフィクション系売り上げベスト5(3位まで入っていたという話がある)だったとか、そういった細々とした情報が入っていたのですが、今回はそういったものがありません。
何か、皆様の方で情報をお持ちでしたら、返信お願い申し上げます。
ということで、今回は簡単な話で終わりです。
最も位置づけに困るところにある施設です。朝倉郡に所属しているので、いわゆる「筑豊」ではない、でも福岡都市圏と言うには、少々離れすぎている。行政区分などでは、概ね「福岡地域」に位置づけられているので、こちらで載せておきたいが、施設は炭鉱施設でどう考えても筑豊の範囲内。掲載見送りも考えていたのですが、まあ、載せられるときに載せておこうと言うことで今回掲載の運びとなりました。
宝珠山炭鉱は昨今ブームの伊藤伝右衛門が運営した炭鉱です。この施設はかつてその伊藤邸の敷地内にあったものを宝珠山まで移設、倶楽部建築として使用されていたとのこと。炭鉱には、技術交流や営業などの関係で来客が多く(炭鉱自体がひとつの町と言うべき連帯感を持っていたようですし)、そういった方々をもてなし、宿泊させるためにあった施設でした。現在では工場の周辺にビジネスホテルがあり、この倶楽部機能を補っていますが、どちらが人的交流に役立っているか、まあ、考えるまでもないでしょう。世の中が人に対して冷淡になっているのでしょうか。
宝珠山炭鉱は昨今ブームの伊藤伝右衛門が運営した炭鉱です。この施設はかつてその伊藤邸の敷地内にあったものを宝珠山まで移設、倶楽部建築として使用されていたとのこと。炭鉱には、技術交流や営業などの関係で来客が多く(炭鉱自体がひとつの町と言うべき連帯感を持っていたようですし)、そういった方々をもてなし、宿泊させるためにあった施設でした。現在では工場の周辺にビジネスホテルがあり、この倶楽部機能を補っていますが、どちらが人的交流に役立っているか、まあ、考えるまでもないでしょう。世の中が人に対して冷淡になっているのでしょうか。
今回の編集代表からは、文章の校正作業が若干遅れただけで「そんだけしか仕事してないの」という嫌みを言われる状態でしたが、もっとも、本というものは文章の校正作業だけでは出来ないことは自明の理です。
体裁の決定、販売戦略などは出版者にお任せする部分ですが、表紙写真はどうするか? 地図は誰が作るのか? 何頁か足りないとき、誰が補填するのか? なんて事があります。これは前回同様に私の仕事となります。
ただ、今回はそれらに加え、執筆者との細かい折衝や愚痴聞き、出版社との細々とした打ち合わせも私が受け持つこととなってしまい、大学で何度か打ち合わせしましたが、何ですか、どうしてここまで? とか、俺何様? とか考えるコトしきりです。前回は、編集代表の小間使い的位置づけが強かったため、まあそれはそれで居心地も良い(実際立場的にはそんなところでしょうし、え・ら・く・な・い・し!)感じでしたが、今回は仕事が多く、その割に不満ばかり周りに言われ続け(いわば、残業代が出ないチェーン店店長並みの中間管理職)、やる気が落ちるのを防ぐのに大変でした。
逆に言えば、前回の状況が恵まれすぎていたのかも知れません。終わってみれば、良い経験、と言えないことはないです。多分。
体裁の決定、販売戦略などは出版者にお任せする部分ですが、表紙写真はどうするか? 地図は誰が作るのか? 何頁か足りないとき、誰が補填するのか? なんて事があります。これは前回同様に私の仕事となります。
ただ、今回はそれらに加え、執筆者との細かい折衝や愚痴聞き、出版社との細々とした打ち合わせも私が受け持つこととなってしまい、大学で何度か打ち合わせしましたが、何ですか、どうしてここまで? とか、俺何様? とか考えるコトしきりです。前回は、編集代表の小間使い的位置づけが強かったため、まあそれはそれで居心地も良い(実際立場的にはそんなところでしょうし、え・ら・く・な・い・し!)感じでしたが、今回は仕事が多く、その割に不満ばかり周りに言われ続け(いわば、残業代が出ないチェーン店店長並みの中間管理職)、やる気が落ちるのを防ぐのに大変でした。
逆に言えば、前回の状況が恵まれすぎていたのかも知れません。終わってみれば、良い経験、と言えないことはないです。多分。