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プロフィール
HN:
庵田
性別:
男性
職業:
無給NPO理事
趣味:
都市散策、調査研究、写真撮影、マンガ熟読
自己紹介:
高学歴ワーキングプア。生活の糧をどうすべきか毎日模索中。
共著でいくら本を増やしても、それは研究者としての実績にならないそうです。数年前から同じ事言ってますが、雇ってくれるところをただ探すのみです、はい。
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『北九州の近代化遺産』&『福岡の近代化遺産』編纂事務局がお贈りする、出版散々回顧録・出版社非公認ブログです。とりあえず、今後の出版企画情報を逐次報告します。
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『北九州の近代化遺産』と比較して出版に要する時間が短縮された原因のひとつに、会合の回数を減らしたことは既に話したと思います。
これは編集側が統一したカラーを作れる点で読みやすさが増す反面、執筆者の誤解が生じたり、情報が届かないと不満を述べられるという問題点を同時に抱える諸刃の剣でもあります。
短期間の勢いで準備を進めざるを得なかった(当初、産業考古学会全国大会に間に合わせようという思惑もあったため)ため、また前回申し上げた凄まじい原稿修正があったために校正会議では、不満点も出てきてしまいました。
「お前等には任せられん」とは言われなかったものの、ぶつぶつ言われたり、雑談が増えたり。若干雲行きは怪しそうです。だいたいそういうときに怒られるのは、編集代表ではなく、わ・た・しなのです。年下だから、言いやすそうだから。まあ、いくつか原因はあるのでしょうが、私の不満はどこで解決したらよいのでしょうか(誰にともなく呼びかけ)?
こういったところにも、学会全国大会終了後の発病要因が隠されていたのでしょう。とかく現代人はストレスにつきまとわれるものです(棒読み)。
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原稿があらかた届くと、次は校正作業と相成ります。
これは『北九州の近代化遺産』でも当然あった話でありますが、前回は編集側の人間それぞれが部分修正したものを持ち寄る、という作業に終始し、全体的に原稿を変更したというものは数えるほどにしかありませんでした。
今回は『九州産業考古学会報』の校正形式を採り、編集代表から届いた校正原稿を見て私から再修正をかける手順を踏みました。
で、だいたい7月初旬には全ての原稿が届きそこから編集代表が原稿に手を入れて私に原稿が届いたのは、8月初めのことでした。
一目見て、愕然としたことを覚えています。
自分の原稿がずいぶん変わっているのです。文章が削られた、表現方法が変わったでなどであればまだ驚きは少なかったのですが、自分の関知しない部分がずいぶん加筆されていたのです。これは他の執筆者に至っても同様でした。
正直、頭を抱えました。執筆者から苦情が出ても仕方ないくらいの変更量です。
少しくらいの文章量(ex.会報)であれば、元原稿を読んで私があまりにも変更がひどい部分について復元する作業を採るのですが、今回は、他の用事に追われておりそんな暇がありません。ある程度の修正・復元作業を妥協しながらやるほか在りませんでした。
当然、校正会議は若干荒れ気味となるのですが、それは次回で紹介します。
nichigin-s.JPG福岡市に現存する遺産群の中でもかなり知名度の高いものといえるでしょう。そのたたずまいから戦前の建築と思われる方も多いのではないでしょうか。実は戦後の建築となります。
石張りの立派な造り、『北九州の近代化遺産』の原則基準だと掲載見送りとなっていたかもしれませんが、今回は色々な検討の結果戦後建築でもためらいなく掲載しております。一覧では年代の下限を1960年としておりますが、私自身は構造物の質的な部分に変化が生じ始めた東京オリンピック開催年である1964年頃までにすべきと思っています。遺産に関するエピソードについては、本をご参照下さい。
という表題ですが、私自身は仕事のできる人間と考えておりません。基本エリート街道から落ちこぼれましたし。
産業考古学会全国大会誘致に際し、北九州のメンバーを中心に準備をするというところは確定していましたか、細かいところが延び延びになってしまい、最後にバタバタしてしまったことが、まあ、結構きつかったのです。
前回と重複するのですが、主な仕事分担は下記の通りです。

実行委員長:会場設定、細かいペーパーの印刷、予算泥かぶり。
私:パンフレット作製、学会本部との折衝(対外アテンド)、原稿催促及び宣伝工作、プレツアー企画運営。
事務局長:その他全て

誰が一番大変か、言うまでもないでしょう。私ではなく事務局長です。福岡の近代化遺産事務局の例でもそういえるのですが、何となくの進行が決まっていてその中で細かい割り振りを設定していない場合、誰かに集中して仕事が回ってくることがよくあります。これはその最たる例でしょう。
かつて、大牟田市で全国大会を誘致した人の話ですが、「全国大会はそれに専念できる人が5人いれば大丈夫」というコメントを頂いたことがあります。それが3にんで、しかもそれぞれが別の大きな仕事を抱えながらのイベントでしたから、血反吐吐いても仕方なかったのではないかと思います。
ちなみに私は大会終了後関節炎でしばらく動けませんでした。若いからって何でも押しつけるべきではない、というひとつの動かぬ証拠でしょう。
7月から11月に至る、いわゆる「地獄の多忙モード」について話さなければならないようです。
まず本の校正作業について話したいと思うわけですが、その前に当時の私がどのような仕事を抱え、またそれらを平行して進めていることを話しておくとより悲惨さがます理解して貰えるかと思います。
まず、11月10~11日にかけて九州国際大学で行われました、産業考古学会全国大会(北九州)があります。
これにつきましては、論文審査やら、学会本部向け連絡やら、パンフレット作成配布やら、当日のパソコン整備やら、まあ色々とありました。もういろいろあり過ぎて何も言えないくらいです。疲れました。
次に自分の博士課程審査用の論文作成がありました。これにつきましては、半分完成、現在進行形(2008年1月現在)と言った状態です。こちらが社会人の方々にとっての「通常業務」に当たるかと思います。そう信じたいです。
他にも折尾駅保存関連の雑多要件がありましたが、まあ、一言で言い表すと全国大会誘致が何よりも大変でした。
実質的な部分を某学長と某事務局長を含めて三人で取り仕切っていたものですから、これはどうしようもない苦境でした。この部分について、裏話になってしまうのですが、次回紹介してみたいと思います。
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